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江戸の大道芸人 の商品レビュー

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3件のお客様レビュー

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2017/05/09

江戸の貧民研究として貴重と思う。他の書物により、乞胸、願人の存在は知っていたものの、曖昧な記述でよくわからなかった。本書では、言い切れないとしながらもかなりその成り立ちの核心に迫っていると思う。

Posted byブクログ

2017/03/20

本来は大阪方面の研究が主の方らしい。 また、この本を書かれた後に急逝なされたとか。ご冥福をお祈りいたします。 庶民や武士以外の人たちの姿を多種の資料から描き出された本書をとっかかりに、同作者の大道芸人などの研究書で知識を深めて行くのも興味深いと思う。

Posted byブクログ

2017/10/09
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

・中尾健次「江戸の大道芸人 都市下層民の世界」(ちくま文庫)は書名通りの書です。「本書は、主要な舞台を江戸に置いています。ここには『非人』『乞胸』『願人』『猿飼』『越後獅子』『香具師』など、多くの大道芸人が登場してきます。(原文改行)このうち『非人』『乞胸』『願人』は、きわめて、“江戸時代的”な存在です。社会の動きを反映して絶えず流入・流出をくるかえし、いわば“社会の落伍者”的な存在である反面、芸能を通して民衆文化を底辺から支えていました。本書の主役は、まさにこのような人びとです。」 (19~20頁)中でも、本書は願人に多くを割いてゐるのが特徴です。なぜか、「『願人』だけが弾左衛門から独立しています。しかしわたしは、典型的な “江戸時代的大道芸人”を、そこに見いだすことができるように思います。」(20頁)それは芸能だけでなく人々との関はり方も含めて、といふわけです。 ・願人坊主と言ふと私は直ちに歌舞伎舞踊の「うかれ坊主」を思ひ出します。この踊り、願人坊主がほとんど半裸と言ふべき姿で踊ります。願人坊主は体の良いものもらひだといふ程度の認識しか私にはありません。だからこの踊りは不思議でも何でもなく、願人坊主とはあんな乞食同様の者だと思つてゐました。踊りの解説などを読んでも、「うかれ坊主」は願人坊主の生態をよく写してゐるとあります。時の風俗を写した七変化舞踊の中の一つです。あんな姿で水をかぶつて金 をもらつてゐたのだ、この寒い冬に。こんなのが私の願人坊主に対する認識です。本書にかうあります、「『うかれ坊主』は願人坊主の源八がたった一人で踊る舞踊なのですが、ここに、願人坊主の芸がそのまま活かされています。」(146頁)つまり、あの踊りは願人の生態が十分に反映されたものだと言へるといふことでせう。更に、私が名前しか知らない「まかしょ」といふ踊りもまた願人坊主を写してをり、願人坊主がお札を「撒きませう」といふのを子供達がまねて 「まかしょ」「まかしょ」と言つたのを「『願人坊主』の代名詞と」(同前)したものであるとか。こちらは「白羽二重の着物に、白の手甲脚絆、白の頭巾で、 白ずくめで演ずる」。お札配りですから半裸といふわけにはいきません。しかし、これもまた願人坊主の一つの姿です。しかも「御供したてまつる」と言つて鈴を振つて歩き、お札を撒く(同前)のは、例の京極夏彦の又一と重なります。又一はその衣裳を譲り受けての白装束、願人ゆゑではありません。大体、それ以前から、悪の道に入つてはゐても、非人や願人の暮らしをしてゐません。普通の町人です。しかし願人は……となります。私は願人の身分については全く知りませんでした。頭を丸めてはゐてもまともな僧籍の人間ではなからうとは思つてゐました。本書にはこれもきちんと書いてあります。「願人は、寺社奉行と町奉行の、いわば二重支配を受けています。」(157頁)つまり、願人の人別帳は寺社奉行に提出されるものの、住所地からすると町奉行との関係が深いといふこと です。だから願人は弾左衛門の支配には入らない、非人ではないのです。願人坊主が大道芸人であつても、弾左衛門支配外の芸人であり、これは例へば春駒あたりとは大いに違ふところです。本書にはこんな願人坊主のことばかりが書かれてゐるわけではなく、副題の下層民の諸相が描かれてゐます。弾左衛門や車善七関連の書が多く出されてゐる中でも、本書のやうに芸人中心にまとめた書は多くないと思ひます。それも弾左衛門支配外の願人に多くのページを割いてゐる。これ は私の期待した点でした。「浮かれ坊主」がおもしろくなる。そんな一冊です。

Posted byブクログ