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陰翳礼讃 大活字版 の商品レビュー

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2024/09/07

読んでいて、実は文字通りとっていいのか、迷う。 伝統的な日本家屋の美的ありかたと新しい利便性を生かすそれぞれのものが、調和しがたく全体の調和にそぐわない、ことになりがちなことは理解する。 誰も、閑とした青い畳の床の間にパソコンのケーブルが大量にのたうっていて、それを差してこれが私...

読んでいて、実は文字通りとっていいのか、迷う。 伝統的な日本家屋の美的ありかたと新しい利便性を生かすそれぞれのものが、調和しがたく全体の調和にそぐわない、ことになりがちなことは理解する。 誰も、閑とした青い畳の床の間にパソコンのケーブルが大量にのたうっていて、それを差してこれが私たちの慣習で理想的な和室のありかただと胸を張る気持ちにはなれないだろう。 しかし、それが日本人の肌の浅黒さや、闇と光の室内における受け入れかたの西洋との違いによるとなるとどうも感覚的にそぐわない。 そして、書き手は、どうもそんなことはわかって書いている感触がある。 白人たちが一層肌を白く見せるために、黄粉をぬり、例えば新しいところでいえば、何作品か前のバットマン映画の画像の暗さは気紛れに出来上がったものではなくて、伝統的に闇の演出というものが成立しているからだろう。 そして、それらの風情を知った上で、わざとかいているような感触がどうもあるのである。 コナン・ドイルを読んだり、彼は向こうの古典を相当読み込んでいるようにみえるのだ。 和式トイレの外界に通じる小さな引戸ばかりでなくて、完全に暗くならない紙一重の暗さやそこから日の当たる障子の白い反射まで段階を踏む光の色の微妙な色合いに対する感性は恐らく紙の戸をつくる文化のあるところには、共通してあるだろう。中国とか、韓国とか、それ以外にもアジアでは。 しかし、西欧とアジアで線を引くのかといえば、そうではない。アジアはアジアでその文化を大事にしているようにみえる、と文章中にはみえるからだ。 すると、何か別の像を結び始めるような気がする。 詰まるところ、当時の西洋的な文化を同質化するには、進みすぎている日本独自の実用性と美的センスの調和を捨てるにも捨てられず、かといってこのままでは廃れ、いつかはなくなってしまうかもしれない言葉で言い尽くせないものをどうするか、そこが肝であり、問題意識なのではないか。 そして、このような外界からくる衝撃は、古くて新しい問題である。 目の前の利便性を受け入れるために、拠り所になる価値を少しずつ犠牲にせざるを得ない。ところが、犠牲にせざるを得ない価値が日本の場合、じつは一般的でない、世界的といってもいいが、日本人がわかって使っている分には、よっぽど進んでいるものを犠牲にしなくてはならない。これが、繰り返されている歯痒さのようなものが根底にある。このなんとなく、損した感じを含んでいる感じがするのだ。 これは、選択の上に進歩が上積みされる、進歩のためにそれに合致するものを選び、他を棄て去るというありかたに対する一般人が抱いている抵抗感をさりげなく取り出している。 恐らくそういうことなのだ。

Posted byブクログ