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それも一局 の商品レビュー

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2016/11/14

1970年代から2000年までの約30年間、囲碁界の3大タイトルの栄冠を手にできたのはたった9人。そのうち7人は木谷道場の内弟子として寝食を共にし、囲碁漬けの生活を送ってお互いが切磋琢磨し、成長していった。内弟子は師匠の家に住み込み修行をするのだが通常師匠が直接対局して指導するこ...

1970年代から2000年までの約30年間、囲碁界の3大タイトルの栄冠を手にできたのはたった9人。そのうち7人は木谷道場の内弟子として寝食を共にし、囲碁漬けの生活を送ってお互いが切磋琢磨し、成長していった。内弟子は師匠の家に住み込み修行をするのだが通常師匠が直接対局して指導することはない。ではなぜ木谷道場からタイトルを独占するプロの卵が次々と育っていったのか。日本中から才能のある子供が集まったというだけではない。「師匠は何も言わないほうがいい」「碁は教わって覚えるものではない」「大勢いたほうがお互い強くなる」という考えのもとに兄弟子が弟弟子を鍛えるという循環が続いた。 木谷自身も川端康成の「名人」にモデルとして出てくる昭和始めのトッププロである。自身も12才で内弟子生活を始め15才でプロになり21才で独立、24才の時には新聞社の目玉企画「木谷・呉清源十番碁」に出場した。この年信州地獄谷温泉で二人でまとめ上げた新布石は大ブームになりwikiによると10万部を売り上げたと言う。この年木谷は新婚2年目でこの本の事実上の主人公「美春お母様」の実家が地獄谷温泉後楽館である。 木谷が最初の弟子の武久勢士17才を内弟子として受け入れたのもこの年で、新婚2年目でこれからトッププロになろうかという年だ。木谷がタイトルを取れなかった本因坊戦で門下の石田芳夫が宿願を果たしたのが22才の時という事を考えれば新布石といい木谷が若い頃から自分が強くなる事だけでなく、囲碁界の発展を念頭に置いていたことがわかる。そしてその木谷道場を実際に切りもりしたのがお母様こと妻の美春だった。 いくつかのインタビューを見ると木谷は威厳があって怖いとあるが実際には環境を作った後は自主性を重んじる放任主義で対局中にマンガを読んでも起こらないほどだ。一方で内弟子たちを叱り続けたのが美春だった。競争できる環境を作り、生活態度さえ注意すれば才能のある子供は勝手に強くなっていく。そう言う意味では「木谷道場の奇跡」信田成仁のエピソードが素晴らしい。中学3年で碁を覚え3ヶ月で3級になったが7つ年下の小林覚に7子も置かされている。とてもプロを目指す棋力ではない。高校を浪人するほどのめり込んだ信田は18才で内弟子となり、20才の入段手合いでようやくこれに勝てばプロと言う最終戦にたどり着いた。相手は13才の小林覚で勝った方がプロになる。結果はガチガチになった小林に信田が勝ち晴れてプロになった。 木谷の実子でプロになったのは三女の禮子一人でその禮子の結婚相手が13才年下で18才で禮子にプロポーズした出世頭の小林光一だった。寛容な木谷でも結婚を許したのは3年後だったが「それも一局」、結果として小林はその後数々のタイトルを獲得し自身も26才で弟子を取り始め多くの弟子を育てている。トッププロとして活躍するもの、弟子を取るものそして海外で囲碁普及をするものと木谷道場から生まれた弟子や孫弟子達がそれぞれの一局を積み重ねていっているわけだ 著者の内藤さんは学生時代からの友人なので宣伝も兼ねてのレビュー。これも内藤さんの一局。

Posted byブクログ