絆って言うな! の商品レビュー
読み進めても 今まで知らなかったこと 時間がたってようやく出てきたこと 薄々感じていたけど 語られないこと こんなにも知らないことが あるんだぁ とショックをうけます 何もできなくても 出来る限り 心をはせる 震災に遭った人が どう感じたかという想像力を持ちたいと 思う本でした
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昨日、東北地方に地震があった。仙台港に津波が到着するあたりで、僕は関西の山の中にいてラジオを聞いていた。忘れていたといっていい津波の恐ろしさを少し思い出し、また、東日本大震災によって仮設住宅に住んでいる人が依然としているという事実も思い出した。 東日本大震災以降、「絆」とい...
昨日、東北地方に地震があった。仙台港に津波が到着するあたりで、僕は関西の山の中にいてラジオを聞いていた。忘れていたといっていい津波の恐ろしさを少し思い出し、また、東日本大震災によって仮設住宅に住んでいる人が依然としているという事実も思い出した。 東日本大震災以降、「絆」という言葉が流行った。絆に便乗したであろう政党まであらわれた(が絆は無かったようだ)。 絆の語源は家畜を縛る綱のことだ。綾波レイがエヴァンゲリオンをみんなとの絆というが、これもまた、家畜を縛る綱のようなものだ。 「被災者」に対して使われる「絆」も、そんな風、とまでは言わないが、絆という言葉に、「こうあって欲しい被災者」のイメージが固定化されるのではないか。そんなことを語る本。 被災者、被災地、という言葉がすでに固定イメージを持つ。被災者は真面目で我慢強く、助け合う。あたりまえだが、人は実際にはそんなふうにひといろではない。「濡れ組」と「乾き組」という、津波にあったかあわないかでも、相当な開きがあるし対立のようなものがある。メジャーな被災地とマイナーな被災地がある。メジャーかマイナーかは、メディアが取り上げたいか否かである。 本書は、そういうことをつぶさに聞いて回ったものである。もちろん、これだって全てではないだろう。大事なことは、物事を単語で固定化しないこと、であろう。性悪な被災者もいれば、絆に助けられた人だっているだろう。ただ僕も、絆なんて言葉で人との関係を表現したくない。東京で大きな災害があったら、そこを「被災地」と呼ぶのかなあ。そしていろんな人間関係を目の当たりにした中央メディアは、それでも「絆」と言い続ける図太さがあるのかなあ。そんなことを楽しみにしちゃあいけないが…。とまあ、考えを横に延ばすにはよい本だが、全然気分よくならない。
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