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心はどこにあるのか の商品レビュー

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2024/12/13

刺激的で洗練された議論だった。読み進めるにつれてわくわくが増していった。 以下、自分の理解↓ 捕食者の行動を予測して逃げ隠れするために、被食者は膨大な独立した条件→行動リストをもつ必要がある。それがある程度複雑になりリストの数が閾値を超えると、独立したリスト同士が相互依存し出し...

刺激的で洗練された議論だった。読み進めるにつれてわくわくが増していった。 以下、自分の理解↓ 捕食者の行動を予測して逃げ隠れするために、被食者は膨大な独立した条件→行動リストをもつ必要がある。それがある程度複雑になりリストの数が閾値を超えると、独立したリスト同士が相互依存し出して一般化され、志向システムが高次化する。同種間で協力するためにはより高次の思考が必要となる。 他者の行動を予測するためには、他者を志向的な構えで見て今の彼の行動の意味や理由や目的を想定することが便利であった。そのため心は他者の志向を想定して行動を解釈するよう発達した。それが自己の行動にも援用されて自己反省および自己意識が芽生えた。 他者とコミュニケーションを取るには、自己の行動を表象する必要がある。他者に伝えるために自分の行動に志向(理由や目的)を付与するとき、現実と辻褄の合う近似的な物語を作る必要があり、やがて自分の行為は本来的に志向的だと思い込み、自分が意図的に自分の行為を管理していると考えるようになる。 ここで複雑な志向的システムを実現するために必要となる道具が言語である。 主体は自分のいる環境を最大限に活用しようとする。人間の脳に他の高度な動物と比べてさほど大きな違いはないが、外部環境の言語を利用して認知や記憶の作業を単純化、負担を軽減することで、より高度な思考を実現している。 人はさまざまな認識の辻褄を合わせてひとつの環世界を形成する。辻褄合わせにすぎず必ずしも真実を表さない理解を構築し、その理解に沿う次の行動を行う。この認識⇄理解⇄行動のループを補強する道具が言語である。理解の構成を言語で整理し、整理された言語から理解を発展される。その結果、行動や認識も言語に強く影響される。 また言語に限らず、様々なデータをそれを再表現してくれる外部に預ける。各データに付与した目印や索引さえ自分の脳で管理しておけば、膨大なデータを安心して外部に預けておける。その意味では、人間の心は自分の脳(ひいては身体)に限定されず、利用する外界をも含むと言える。 子どもは言葉を復唱してそのときの状況と結びつける作業を繰り返すことで複雑な連想システムを構築する。そうして得られた道具を用いて記憶に目印を付けることで、その目印(言語)から情報を手繰り寄せる記憶のシステムができる。この記憶⇄言語のシステムを絶え間なく回すことで精巧な思考を行える。 私たちの心は、自然選択で長い歴史を経て設計されてきた部品で構成されている一方、文化的遺産を道具として利用することで多くの部分が再構築されている。言語という道具を利用して、私の心が思考をしその思考が私の心を形成するという双方向の自己反省的な、心⇄思考のプロセスが、人間と他の動物とを隔てる必要条件である。 ここで、意識が自己の行動の内省が表象したものだとすれば、言語を持たない他の動物は意識を持ちうるのかという疑問が生まれる。

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2023/10/08

「話せないかも知れないが、考えてはいるはずだ。」人間以外の動物の行動を見た時に、我々はごく自然にこのようなことを思う。しかし、著者はこの考えにアンチテーゼを投げかける。 そもそも、全ての生物は行動の選択をする際に何か考えているのだろうか。バクテリアは?人参は?カッコウは?コウモリ...

「話せないかも知れないが、考えてはいるはずだ。」人間以外の動物の行動を見た時に、我々はごく自然にこのようなことを思う。しかし、著者はこの考えにアンチテーゼを投げかける。 そもそも、全ての生物は行動の選択をする際に何か考えているのだろうか。バクテリアは?人参は?カッコウは?コウモリは?犬は?・・・。生物の進化の過程を紐解きつつ議論を進め、言語を持つか否かを一つの境界とする仮説を提示する。 では、人間以外の生物は心を持ち得ないのか?身近なペットなどを見ても、俄には腑に落ちない。いや、腑に落ちない感覚になるのは、子供が岩や星を自然と擬人化するように、身近な生物を擬人化しているのに過ぎないのだろうか・・。心のありようについて一石を投じる著作。

Posted byブクログ

2023/06/09

ちくま学芸文庫 デネット 心はどこにあるのか 哲学者が「心とは何か」「人間と他の動物の違いは何か」を 探求した本。心を 人間と他の動物の違いとして、思考実験を展開している 心は、主体、内省的な意識、主観的観点、言葉との関係性から捉え、心に基づく人間の合理的行動と 自然...

ちくま学芸文庫 デネット 心はどこにあるのか 哲学者が「心とは何か」「人間と他の動物の違いは何か」を 探求した本。心を 人間と他の動物の違いとして、思考実験を展開している 心は、主体、内省的な意識、主観的観点、言葉との関係性から捉え、心に基づく人間の合理的行動と 自然選択による動物の行動を区別している 人間と他の動物との差異は、遺伝子的に優れた設計を持ち、愚かな行動が排除されるフィルターを持ち、言葉をはじめとする心の道具を使うこと 人間は原始的に心を持っていたのではなく、進化の過程を通じて 心を手に入れたという驚きの前提条件から始まる 「心の仕事は、未来を築くこと〜心とは 予感するものであり、期待を生成するもの」 「心のすることは情報処理である〜心は身体の制御システムで、決められた任務を果たすために、制御に関する情報を集め、それを選別して貯えて、加工または処理する」 「心の進化論〜内部志向性から近接志向性へ移行し、さらに遠隔的志向性へ進化する〜進化により 身体のまわりから入手する情報を受ける膨大な数の専門化した主体を生み出す」 「人間は脳が大きいから知性が高いわけではない。人間が高い知性をもっているのは、自分の認知作業を可能なかぎり環境そのものに委ねてしまう習慣があるためである〜外界につくった一連の周辺装置に心を代行させるのである」 「人間は記憶を助ける精巧な連想システムを構築することができる〜脳を巨大な能力のネットワークに変えることで自分の持つ資源に磨きをかける」 「人間を除く動物は痛みは感じられても、苦しむことができない」 「人間以外の動物には、人間と同じ内省的な意識を持っているものは今のところいない」

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2021/02/25
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

現代の認知科学と進化論を組み合わせることによって、人間の意識を解明しようとする「心の哲学」の第一人者ダニエル・デネットの入門書。 ポピュラーサイエンスとは違う哲学書らしく、そのほとんどは疑問を提示することによっておわる。 デネットは人間の心の機能について、「言葉」の重要性を強調している。「言葉」によって私たち人間は「概念」と「記号」操作が可能になったと考えている。 彼の言う「意識」とは人間の高次意識を指しているようだ。 ダマシオが示した原自己(プロトセルフ)のような、もっと一次的な認知システム、自己システムを考慮していないように思える。 機能主義的、システマチックに人間の認知を捉えているようだ。 →私としてはもっとミクロなレベルでの神経的、生理的現象から自己を考えていかない限り、壁にぶち当たるのではないかと思えた。 あくまで哲学的に現代の科学からわかることを整理しなおし、正しい疑問を提示することは価値のあることと言えるだろう。 脳科学を一通り読んで思ったことは、位相間の差異がかなり激しいということ。 シナプスや神経伝達物質などの生理学的ミクロレベルの話から 解剖学的、部位的な中間レベルの話 人間を一生物として捉えなおすことによる進化生物学的なマクロなレベル これらの位相間の差異を意識しそれらの合流ポイントを探すことが必要なのかもしれない どの時代においても哲学は、少なからず科学の知見を考慮に入れてきた。 その時代の科学的知見を完全にスルーしてなされた哲学はないといってもいいだろう。哲学の課題として「現代」の科学とどのような態度で向き合うかという問題は避けて通れないと思われる。 その時代の知の総合芸術として哲学はある。 哲学とは現時点である知をどのように整理し、そのうえでいかに生きていくかの問いを発することだ。 どんな人も紛れもない現代を生きていかなくてはならないのだから、その時代のエピステーメーに対する態度を決め、善く生きるためにも科学や技術について学んでいかなくてはならないのだろう。

Posted byブクログ