心はどこにあるのか の商品レビュー
「話せないかも知れないが、考えてはいるはずだ。」人間以外の動物の行動を見た時に、我々はごく自然にこのようなことを思う。しかし、著者はこの考えにアンチテーゼを投げかける。 そもそも、全ての生物は行動の選択をする際に何か考えているのだろうか。バクテリアは?人参は?カッコウは?コウモリ...
「話せないかも知れないが、考えてはいるはずだ。」人間以外の動物の行動を見た時に、我々はごく自然にこのようなことを思う。しかし、著者はこの考えにアンチテーゼを投げかける。 そもそも、全ての生物は行動の選択をする際に何か考えているのだろうか。バクテリアは?人参は?カッコウは?コウモリは?犬は?・・・。生物の進化の過程を紐解きつつ議論を進め、言語を持つか否かを一つの境界とする仮説を提示する。 では、人間以外の生物は心を持ち得ないのか?身近なペットなどを見ても、俄には腑に落ちない。いや、腑に落ちない感覚になるのは、子供が岩や星を自然と擬人化するように、身近な生物を擬人化しているのに過ぎないのだろうか・・。心のありようについて一石を投じる著作。
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ちくま学芸文庫 デネット 心はどこにあるのか 哲学者が「心とは何か」「人間と他の動物の違いは何か」を 探求した本。心を 人間と他の動物の違いとして、思考実験を展開している 心は、主体、内省的な意識、主観的観点、言葉との関係性から捉え、心に基づく人間の合理的行動と 自然...
ちくま学芸文庫 デネット 心はどこにあるのか 哲学者が「心とは何か」「人間と他の動物の違いは何か」を 探求した本。心を 人間と他の動物の違いとして、思考実験を展開している 心は、主体、内省的な意識、主観的観点、言葉との関係性から捉え、心に基づく人間の合理的行動と 自然選択による動物の行動を区別している 人間と他の動物との差異は、遺伝子的に優れた設計を持ち、愚かな行動が排除されるフィルターを持ち、言葉をはじめとする心の道具を使うこと 人間は原始的に心を持っていたのではなく、進化の過程を通じて 心を手に入れたという驚きの前提条件から始まる 「心の仕事は、未来を築くこと〜心とは 予感するものであり、期待を生成するもの」 「心のすることは情報処理である〜心は身体の制御システムで、決められた任務を果たすために、制御に関する情報を集め、それを選別して貯えて、加工または処理する」 「心の進化論〜内部志向性から近接志向性へ移行し、さらに遠隔的志向性へ進化する〜進化により 身体のまわりから入手する情報を受ける膨大な数の専門化した主体を生み出す」 「人間は脳が大きいから知性が高いわけではない。人間が高い知性をもっているのは、自分の認知作業を可能なかぎり環境そのものに委ねてしまう習慣があるためである〜外界につくった一連の周辺装置に心を代行させるのである」 「人間は記憶を助ける精巧な連想システムを構築することができる〜脳を巨大な能力のネットワークに変えることで自分の持つ資源に磨きをかける」 「人間を除く動物は痛みは感じられても、苦しむことができない」 「人間以外の動物には、人間と同じ内省的な意識を持っているものは今のところいない」
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現代の認知科学と進化論を組み合わせることによって、人間の意識を解明しようとする「心の哲学」の第一人者ダニエル・デネットの入門書。 ポピュラーサイエンスとは違う哲学書らしく、そのほとんどは疑問を提示することによっておわる。 デネットは人間の心の機能について、「言葉」の重要性を強調している。「言葉」によって私たち人間は「概念」と「記号」操作が可能になったと考えている。 彼の言う「意識」とは人間の高次意識を指しているようだ。 ダマシオが示した原自己(プロトセルフ)のような、もっと一次的な認知システム、自己システムを考慮していないように思える。 機能主義的、システマチックに人間の認知を捉えているようだ。 →私としてはもっとミクロなレベルでの神経的、生理的現象から自己を考えていかない限り、壁にぶち当たるのではないかと思えた。 あくまで哲学的に現代の科学からわかることを整理しなおし、正しい疑問を提示することは価値のあることと言えるだろう。 脳科学を一通り読んで思ったことは、位相間の差異がかなり激しいということ。 シナプスや神経伝達物質などの生理学的ミクロレベルの話から 解剖学的、部位的な中間レベルの話 人間を一生物として捉えなおすことによる進化生物学的なマクロなレベル これらの位相間の差異を意識しそれらの合流ポイントを探すことが必要なのかもしれない どの時代においても哲学は、少なからず科学の知見を考慮に入れてきた。 その時代の科学的知見を完全にスルーしてなされた哲学はないといってもいいだろう。哲学の課題として「現代」の科学とどのような態度で向き合うかという問題は避けて通れないと思われる。 その時代の知の総合芸術として哲学はある。 哲学とは現時点である知をどのように整理し、そのうえでいかに生きていくかの問いを発することだ。 どんな人も紛れもない現代を生きていかなくてはならないのだから、その時代のエピステーメーに対する態度を決め、善く生きるためにも科学や技術について学んでいかなくてはならないのだろう。
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