目の見えないアスリートの身体論 の商品レビュー
副題『なぜ視覚なしでプレイできるのか』 →それそれ!なんでできるの?と、常日頃不思議に思っていたことがらへの答えがここに! 俄然、読みたくなってきます…! 著者の伊藤さんは、名著が多い◎『ケアをひらく』シリーズの、『どもる体』の著者でもあるのですが、人間の身体にと...
副題『なぜ視覚なしでプレイできるのか』 →それそれ!なんでできるの?と、常日頃不思議に思っていたことがらへの答えがここに! 俄然、読みたくなってきます…! 著者の伊藤さんは、名著が多い◎『ケアをひらく』シリーズの、『どもる体』の著者でもあるのですが、人間の身体にとても興味関心がある方なのだなぁ~。深く調べているなぁ~と、著書を読むたび感服いたします。ちなみに、著者の専門は『美学、現代アート』 裏表紙に記されている文章を紹介します。 ↓ 『私たちの多くがいつもやっているのとは違う、別バージョンの「走る」や「泳ぐ」。それを知ることは、障害のある人が体を動かす仕方に接近することであるのみならず、人間の身体そのものの隠れた能力や新たな使い道に触れることでもあります。 「リハビリの延長」でも「福祉的な活動」でもない。身体の新たな使い方を開拓する場であることを期待して、障害者スポーツの扉を叩きました』 『メッシのドリブルはブラインドサッカーの動きそのもの』という、本書の中の記述があるのですが、今年、ワールドカップ開催&日本代表決勝トーナメント出場と歓喜していた自分にとっては……!タイムリーでした( ≧∀≦)
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☆信州大学附属図書館の所蔵はこちらです☆ https://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB22067899
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恐るべき才能の出現である。2冊読み、思わずBABジャパン社にメールを送った。直ちに伊藤亜紗を起用して日野晃や初見良昭〈はつみ・まさあき〉を取材させるべきである、と。単なる説明能力ではない。柔らかな感性から紡ぎ出される言葉が音楽的な心地よさを感じさせるのだ。その文体は福岡伸一を凌駕...
恐るべき才能の出現である。2冊読み、思わずBABジャパン社にメールを送った。直ちに伊藤亜紗を起用して日野晃や初見良昭〈はつみ・まさあき〉を取材させるべきである、と。単なる説明能力ではない。柔らかな感性から紡ぎ出される言葉が音楽的な心地よさを感じさせるのだ。その文体は福岡伸一を凌駕するといっても過言ではない。 https://sessendo.blogspot.com/2020/12/3.html
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スポーツは、目の見えない人にとっては、安全な場所。という感覚に驚いた。 ルールがあるからこそ、自由に出来る。それは、フィールドやコートといった仕切られた空間も同様。 ルールがあるから自由、安全という感覚は、一般的な社会においても、示唆を与える。 とにかく、特殊な状況を理解す...
スポーツは、目の見えない人にとっては、安全な場所。という感覚に驚いた。 ルールがあるからこそ、自由に出来る。それは、フィールドやコートといった仕切られた空間も同様。 ルールがあるから自由、安全という感覚は、一般的な社会においても、示唆を与える。 とにかく、特殊な状況を理解することは、物事を理解する上で、様々な気付きを与えてくれる。
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スポーツに限らず日常においても視覚からの情報というのは非常に大きい。 そんな視覚情報を使わないスポーツ競技のアスリートは一体どのように身体を使いこなしているのか。 未知の世界の身体論は非常に興味深かったです。
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前著「目の見えない人は世界をどう見ているのか」の一流アスリート編。興味深い世界が開かれていく。視覚障害に対して、かわいそうではない、平等な地平がスポーツを通して見えてくる。
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当然ながら今の巷が大好きなお涙頂戴的感動話ではなく、パラアスリートの身体や脳の動きを科学的に分析するのが主題。たとえば視覚障碍者は健常者のようなイメージトレーニングは出来ないが、世界トップレベルのパラアスリートがしている代替手段などは一般市民アスリートである私にも目から鱗的なヒン...
当然ながら今の巷が大好きなお涙頂戴的感動話ではなく、パラアスリートの身体や脳の動きを科学的に分析するのが主題。たとえば視覚障碍者は健常者のようなイメージトレーニングは出来ないが、世界トップレベルのパラアスリートがしている代替手段などは一般市民アスリートである私にも目から鱗的なヒントとなった。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
いい試みの一冊だった。 障害者と健常者の違いをハンデと称し、その差を埋めて同じにすることを平等とする、そんな一般認識に一石を投じる。「同じ」にすることを強調するのでなく、「違い」に注目する。注目するだけでなく、その違いの先にさらなる可能性を見出そうとする試みが、明るい! 本書では視覚障碍者を取り上げる。視覚障碍者によるスポーツは 「私たちの多くがいつもやっているのとは違う、別バージョンの「走る」や「泳ぐ」」 だという。さらに、 「それを知ることは、障害のある人が身体を動かす仕方に接近することであるのみならず、人間の身体そのものの隠れた能力や新たな使い道に触れること」 と考えることがすごい!見えないことで発揮される他で研ぎ澄まされる感覚を「能力」とする発想が前向きだ。 その発現をルールの定められたスポーツの場に求める。そのルールは敵味方とも平等だし、ハンデではないのだ。なんなら、その同じルールの下で、つまり、「視覚を使わない」という“ルール”で視覚障碍者も晴眼者も同じ土俵で戦えばいいのかもしれない。 そこまで本書は突っ込んでないけれど、究極はそういうことじゃなかろうか? 条件さえ満たせば、ブラインドサッカーにJリーガーが完全目隠しして同じピッチに立つということだ。それが究極の平等なのかも?という可能性を垣間見せてくれた。 ブラインドサッカー、水泳、陸上、ゴールボールのパラリンピック選手との対話がメインの本書。視覚に頼らない「能力」を有する彼らの発言が実に前向きなのが何より素晴らしい。彼等には我々に見えていないものが見えている。 スキルを高め、判断力を磨くために、ブラインドサッカーの、つまり視覚に障碍を持つ加藤健一選手が、 「視野を広く持ち、次にどうなるか予測を立てておくことが必要」 と言ってのける。これに快哉をとなえずにいられようか。天晴だ。
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リオデジャネイロでのパラリンピックが盛り上がりは2020年に向けて障がい者スポーツへの関心のギアを一段階上げると思います。NHKの放送もソチの時は教育テレビの福祉番組が中心にあったように覚えていますが今回は総合テレビでスポーツとしての中継が存在感を増していました。本書も社会福祉的...
リオデジャネイロでのパラリンピックが盛り上がりは2020年に向けて障がい者スポーツへの関心のギアを一段階上げると思います。NHKの放送もソチの時は教育テレビの福祉番組が中心にあったように覚えていますが今回は総合テレビでスポーツとしての中継が存在感を増していました。本書も社会福祉的な論点ではなく身体論としての切り口が新鮮でした。手に取ったのは以前にたまたまお話を伺った5人制サッカーの日本代表の落合啓士選手がインタビューに答えているのを見つけたからなのですが、その際、見えている時代にサッカーを見てからその後ブラインドサッカーに入る選手より、初めからの選手の方が可能性が高いかもしれない、と言われていたのを思い出しました。失ったものを取り戻す、のではなく、持っているものを強める。身体論としての障がい者スポーツが時代に投げかけるメッセージは大きいと思います。
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