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上杉鷹山人を活かし、人を動かす の商品レビュー

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2021/07/10

J.K.ケネディやB.クリントンが「最も尊敬する日本人」と賞賛した、米沢藩主・上杉鷹山(1751-1822)。120万石の越後国を支配した上杉謙信(1530-78)を家祖とする。2代目景勝(家老・直江兼続)のときに徳川家康の「上杉征伐」(1600)により会津に移封(国替え)され、...

J.K.ケネディやB.クリントンが「最も尊敬する日本人」と賞賛した、米沢藩主・上杉鷹山(1751-1822)。120万石の越後国を支配した上杉謙信(1530-78)を家祖とする。2代目景勝(家老・直江兼続)のときに徳川家康の「上杉征伐」(1600)により会津に移封(国替え)され、直後の関ヶ原の合戦で、西軍として敗れ、領地は30万石の米沢に移された。さらに、3代目綱勝が急死して跡継ぎがなく、吉良上野介義央(よしなか)の長男(綱憲)を後継者とする。本来であればここで上杉家断絶だが、保科正之の取りなしにより上杉綱憲を15万石で取り立てる(高家筆頭だった吉良上野介の子を藩主として迎えたことが藩財政悪化を助長する)。知行高は8分の1に激減。「名家の誇りを重んずるゆえ、豪奢な生活を改められなかった」。これが、治憲(鷹山)が9代目藩主(1767-85)に就任したときの状況であった。 財政の悪化は知行高の激減だけでない。東北地方は1770年代から悪天候や冷害により農作物の収穫が激減。1782-87には日本の近世最大の飢饉「天明の大飢饉」に見舞われたのだ。 この長く続く難局を乗り切ったのは、鷹山の政治・経済政策が優れていただけではない。鷹山の無比の「誠実さ」と「謙虚さ」、そして人々に対する「慈悲の心」が揺るぎなく根を下ろしていた」からだ。米沢藩では、藩士並びに領民意識改革が着々と実現されていった。経済についても、絶えず道徳をその基盤とし、経済活動の活性化と礼節の高揚とが、一体となって推進されたのである(1773年の「七家騒動」はあったが)。 「徳のあるところには、富が生まれる」。人は、「誠実、謙虚」といった「心の力」に動かされる」。これこそが彼の信条であり、「天に対して自らの至らなさを反省し、その身を慎む」。一人の能力には限界がある。長期的な発展と繁栄のためには、全員の能力を引き出すことが最も重要なことである。日頃から鷹山は、一般の声を聞く態度を示しており、各種の通達や指令を出す際には、その趣旨を懇切に説明し、家臣への藩政への参加意識が相当醸成されていた(p.192)。最後に著者は、鷹山の財政の改善、経済の振興以上に特筆すべきことして、「領民の礼節・道徳の面における著しい意識向上」をあげる。鷹山が師・細井平洲(尾張藩)から学んだことは、領民を「有徳の民」にすることだった。 このような鷹山の経済と道徳を一体として捉えた理念は、渋沢栄一やP.ドラッカーのそれに共通するように思われる。ちなみに鷹山の言葉の中には「してみせて、言ってきかせて、させてみる」というものがあり、これは山本五十六(新潟県長岡市出身)の同様の名言に繋がったという。鷹山の教えは、現代ビジネスにも十分通用するものである。

Posted byブクログ

2021/03/08

この本を今の政治家に読ませたら、もっと日本の将来は明るくなるだろう。 自分の利益を守ることだけに注意を向ける政治家達には、我が国を作ってきた先人に学びそれを後世へ継承していく責任を自覚してほしい。

Posted byブクログ