ピカソになりきった男 の商品レビュー
贋作作家の手記。しかもまだ存命のようなので、フレッシュな犯罪記録というか独白というか。 なぜ贋作という世界に踏み込んでいったのか、これはまさに「事実は小説よりも奇なり」そのままのストーリーだ。
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長い間贋作を描きつづけた男の自伝。 彼の半生に関しては、もっと別の道があっただろうに、としか思えない。ダメな方の人生を自ら望んで選んできたようなひと。 贋作をめぐるアートの業界の裏側が語られているのがとても貴重で興味深かった。
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物語がとても軽快で、海外の2クールドラマを観ているような感覚。 ディープな絵画の世界について詳しくなれるばかりではなく、業界構造についても触れられており、意外と普遍的な要素を多く含んでいる。そのため、ビジネスパーソンが読んでも「使えそう」と思う場所もある。絵画とは縁のない人でも...
物語がとても軽快で、海外の2クールドラマを観ているような感覚。 ディープな絵画の世界について詳しくなれるばかりではなく、業界構造についても触れられており、意外と普遍的な要素を多く含んでいる。そのため、ビジネスパーソンが読んでも「使えそう」と思う場所もある。絵画とは縁のない人でも、本当に違う世界で強烈な生き様を見せてくれるこの本はオススメできる。
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前半はちょっとだるかったけど、後半贋作に関わり出してからは一気に面白くなった。 願わくば、作品を見てみたかったが没収または破棄されて残っていないとのことで、残念。しかし、またまだこの人の贋作はアート界にたくさんあるとのこと。 もしかしたら美術館で見るあの絵やこの絵も贋作かも!...
前半はちょっとだるかったけど、後半贋作に関わり出してからは一気に面白くなった。 願わくば、作品を見てみたかったが没収または破棄されて残っていないとのことで、残念。しかし、またまだこの人の贋作はアート界にたくさんあるとのこと。 もしかしたら美術館で見るあの絵やこの絵も贋作かも!?と思ったら、自分のアートを見る目が試されるようで面白みがある。結局アートは誰が描いたかよりも、受け手が何を受け取るかだと思わされる一冊だった。
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30年間贋作を描き続けてきた画家が、 自らの半生を綴った手記です。 美術界の裏側が赤裸々に語られています。 著者は1948年生まれ。 幼少期を娼館で暮らし、10代はじめには家を飛び出し路上生活。 その後は絹織物デザイン工房の職人になったり、フランス海軍に入隊したり、 でもそれらの...
30年間贋作を描き続けてきた画家が、 自らの半生を綴った手記です。 美術界の裏側が赤裸々に語られています。 著者は1948年生まれ。 幼少期を娼館で暮らし、10代はじめには家を飛び出し路上生活。 その後は絹織物デザイン工房の職人になったり、フランス海軍に入隊したり、 でもそれらの経験が、後の彼の人生に大いに役立ちました。 独学で絵を学んでいた彼は、 水彩画家として身を立てることを目指しますが、 ある人物との出会いをきっかけに贋作作家となります。 贋作といっても彼が描いたのは 現存する、あるいはかつて現存した絵を模写するのではなく、 タッチや色彩、マチエールを真似て、 その画家なら描くであろう ピカソ風、マティス風といった新作絵画でした。 学校教育を受けていない彼は、膨大な量の美術書を読み漁り、 すべて独学で知識やテクニックを身に着けます。 絵を描く前は時間を掛けて、その画家になりきる努力をします。 俳優が役になりきるようなものですね。 その画家がどのような人生を送り、どの時期にどのような生活をし、 なにを考えてどのような絵を描いたか、想像しながら作品を生み出すのです。 彼が真似た画家は、ピカソやシャガールをはじめ、 マティス、ルノワール、ダリ、モディリアーニ、デュフィ、ヴラマンク、 マリー・ローランサン、レジェ、フジタなど多岐にわたります。 彼はほかの贋作家のように、 ひとりの画家、一つのテクニックに自らを限定しませんでした。 彼の興味は、様々な画法や、素材、時代を探求すること。 また、プロの鑑定家の目を欺くほどの 完璧な作品を描きあげることに、 無上の喜びを感じていたようです。 彼は自分の絵で歴史に名を刻むことはできませんでしたが、 波乱万丈紆余曲折のボヘミアン的な人生は、 エコール・ド・パリの画家たちにも引けを取らない とても豊かなものだったように思えてなりません。 本書を読むと、本物とは何か?アートとは何か? ということを考えさせられます。 べそかきアルルカンの詩的日常 http://blog.goo.ne.jp/b-arlequin/ べそかきアルルカンの“スケッチブックを小脇に抱え” http://blog.goo.ne.jp/besokaki-a べそかきアルルカンの“銀幕の向こうがわ” http://booklog.jp/users/besokaki-arlequin2
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贋作と模倣 その違いは何なのか? 2005年に逮捕された名画の贋作作家・ギィ・リブの手記 娼館で生まれ育った少年が贋作作家として生きていくようになったきっかけから、華やかでダークな絵画のダークな側面、そしてなんとその才能を生かして映画界へデビューしていくまでを描いている。 あ...
贋作と模倣 その違いは何なのか? 2005年に逮捕された名画の贋作作家・ギィ・リブの手記 娼館で生まれ育った少年が贋作作家として生きていくようになったきっかけから、華やかでダークな絵画のダークな側面、そしてなんとその才能を生かして映画界へデビューしていくまでを描いている。 ある美術評論家に「ピカソが生きていたら彼を雇ったであろう」と評されたギィ・リブ 彼の贋作のすごさは名画のコピーを作ることではない。 巨匠になりきってそのタッチで新作を生み出すことなのだ。 ギィの絵を見たいと思ったけど、この本には写真が一切ない。 彼の贋作は全て没収&破棄されたからだという。 でも、彼いわく「いくつかは美術館やギャラリーで本物として流通している」のだとか。 この本はある贋作作家の人生を描いているのだけど その片方で美術界のビジネスの恐ろしさやカラクリなどが描かれていて、美術マネーの恐ろしさやそれに群がる有象無象、美術愛好家をくいものにする人々の恐ろしさを描いている。 ギィは逮捕されてから、その天才的な、なりきり才能を認められルノワールの映画の美術担当の仕事をすることになる。 そんなイイ話もあってよかった…なんて思う。 なんだけど…ラストちょっと切ない。 様々な巨匠になりきって他人の絵を描いてきたギィ しかし、何にもなくなってあらためて「素の自分の絵」を描いてみるとそこには何もなかったりする。 誰にも評価されず、でもって耳元では 「まだ他の巨匠の絵があるんじゃない?」 なんてささやかれたりする 失ったものはオリジナリティー それは、芸術を中心に生きてきた人間にとっては 恐ろしすぎる代償である。
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アートを評価する時、「作者が誰か」で振り回され、本物の絵の良さだけで語るとこが難しい美術界の不自由さを考えさせられた。 画家を憑依させ、本人になりきって作品を描いていく手法が興味深い。
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贋作画家の半生をたどる自伝 名画の贋作を作るのではなく、偉大な画家の未発表作品を作るというところがユニーク
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30年の長きに渡って贋作を描き続けた男の自伝。贋作といっても、すでに知られた作品を模造するのではない。あったであろう「埋もれた作品」を創造するのである。男は、ピカソ、ダリ、シャガール、名だたる巨匠を徹底的に調べ上げ、それになりきる。男の贋作は、ただ巨匠の筆致を再現するのではない。...
30年の長きに渡って贋作を描き続けた男の自伝。贋作といっても、すでに知られた作品を模造するのではない。あったであろう「埋もれた作品」を創造するのである。男は、ピカソ、ダリ、シャガール、名だたる巨匠を徹底的に調べ上げ、それになりきる。男の贋作は、ただ巨匠の筆致を再現するのではない。その精神の再来させるのである。実際、シャガールの娘に「これは本物に間違いありません。私は父がこのグワッシュを描いているのを見たのを覚えています」と言わせたほどである。男の贋作は、紛れもない傑作だったのだ。しかし、今日のアート市場において、その作品の価値は、なにより、ピカソ、ダリ、シャガールの名前にある。そして、それを権威づけるのは、画商や、鑑定家たちだ。そこに、ピカソ、ダリ、シャガールの精神は不在である。男は、自らがピカソ、ダリ、シャガールとしてあること、また、その作品がピカソ、ダリ、シャガールから離れてあることの、二重の疎外に自失する。2005年、ついに逮捕された男が抱いたのは、恐怖や怒りではなく、まず安堵であったという。魑魅魍魎のアート市場を駆け抜けた、波瀾万丈の一代記。 『俺の手や目は、ピカソやルノワール、マティス、さらにはダリの手であり目だった。みんなとっくに死んだあとだ。俺は彼らのように描くことを身につけ、そうして自分自身の絵を忘れ、贋作の迷宮にはまり込んで、自分を見失うほどになった。俺はもう自分が誰だかわからなくなっていた。しかし、ついに自分自身に戻れるのだった。偉大な巨匠の高みを忘れ、自分の足でうまく切り抜けられるようになるのだった。逮捕された日、俺は本当の画家になった。』 『俺は同じ贋作でも、何から何まで模倣したものと、「~風」の絵には大きな違いがあると思っている。正確な意味での模倣は、死んだものを生き返らせるのに近く、ほとんど病的な面がある。一つの絵には、その絵にしかない感情があり、それを再び作り出そうとするのは論理的に言っても不可能だ。同じイメージは再現できても、しかし魂、内面の力強さの再現は無理だろう。ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」をもう一度作って、どんな意味があるだろう?巨匠風の絵を作るより、その絵を一線一線複写する方が、思い上がりもいいところだ。俺も模倣はしたことがあるが、俺が模倣で非難するのは、画家のオリジナルな作品と、私的な面を愚弄するものだからだ。その点、新しい作品を作れば、画家から奪うものは何もない。』 『司法は俺の贋作の一部を押収したが、しかし現在でもなお、「ラ・ガゼット・ドゥルオー」に俺の絵が載っているのを目にする。俺のアートはいたるところにあるのに、誰もそれを知らない。いまだから、言わせて欲しい。たぶん、少し誇張があるだろうが、俺はルノワール、ピカソ、マティス、ダリ、シャガール、モディリアーニ、フジタ、ヴラマンク、その他大勢の巨匠たちの作とされる、膨大な作品を制作した。しかし、そんなことは誰にもわからないだろう。それもそのはず、これらの絵はすべてもう贋作ではなく、本物になっているからだ。それらはいまや、俺が模倣した画家たちの作品になりきっている。これらの絵で俺ができる唯一の展覧会は、俺の頭のなか。そこでの俺はたったひとりの主催者であると同時に、たったひとりの訪問者、たったひとりの批評家なのだ。』
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でもやっぱり 有名画家と一体になるよりも 自分の名前のついた絵が 高値で売れた方が 良いと思うんです
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