「戦争」を語る の商品レビュー
生活していた中国や長崎に足を運んではいるものの、ご本人は終戦時に5歳だったことから記憶もほとんどなく、内容的に物足りない。 仕方がないと思うけれど。 しかしながら、前半のラッセルの話は参考になり、ラッセルの著作を読んでみる足掛かりになったのは良かった。
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戦争の記憶を後世にどう残すのかは難しい。どうしても個人の記憶は一人よがりに陥りやすいし、客観性にも欠ける。 けど、あの時代に生きた国民一人ひとりの記憶は決して蔑ろにされるべきではない。ここにあるのは立花一家の引き揚げ体験が中心だけど、そうだったんだと思わされるものがたくさんだ。母...
戦争の記憶を後世にどう残すのかは難しい。どうしても個人の記憶は一人よがりに陥りやすいし、客観性にも欠ける。 けど、あの時代に生きた国民一人ひとりの記憶は決して蔑ろにされるべきではない。ここにあるのは立花一家の引き揚げ体験が中心だけど、そうだったんだと思わされるものがたくさんだ。母親と兄とで捉え方が違うところもおもしろい。こういった試みを急がないといけない。戦争体験者は90代なのだから。
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立花隆の戦争体験。家族と共に戦争体験を語る。 戦後70年が経過して戦争体験の語り手が少なくなってきた。戦争の悲惨さを次の世代に語り、その経験を次の世代に受け継ぐことは、体験者の使命と考えている。この本では、著者自身の経験と母親や兄弟達と語り合った対談の内容を紹介する。 長崎生まれ...
立花隆の戦争体験。家族と共に戦争体験を語る。 戦後70年が経過して戦争体験の語り手が少なくなってきた。戦争の悲惨さを次の世代に語り、その経験を次の世代に受け継ぐことは、体験者の使命と考えている。この本では、著者自身の経験と母親や兄弟達と語り合った対談の内容を紹介する。 長崎生まれの著者は、幼時に中国に渡り戦争が終わるまで北京に滞在した。戦争終結とともに日本に帰国するが、その行程と帰国後の生活は大変だったようだ。同じ中国でも北京と満州では状況が違っており、北京は蒋介石の意向で比較的安全に引き上げたようだが、満州は厳しかったらしい。母の故郷へ帰る道程で聞いた新型爆弾の話や、終戦直後の色々なエピソードについて語り合う。対談で家族が歳を取ると共に記憶も曖昧になっているが、共通して記憶に残る出来事については話も弾むようだ。一つのテーマで家族で話し合うことは、普段の生活ではあまり無いが、戦争体験に限らず先人の経験を聞いておくことは、後々役に立つこともあると思う。 因みに自分の父も中国・大連生まれで戦時中に帰国したらしい。当時の事についてあまり語らないが、帰省した時に聞いておきたいと思った。
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コルベ神父は戦前には長崎にいた。 ベルリンには駅で、死の17番ホームと呼ばれるホームがあって、そこはユダヤ人たちが収容所に送られた列車に乗せられたから、今でも記念碑がある。
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【「知の巨人」、はじめての戦争本】被爆の記憶を後世に残すために、日本人は何をすべきか? 引揚体験、広島、長崎、アウシュビッツを通して、いま伝えておきたいこと。
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