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売茶翁の生涯 の商品レビュー

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2016/08/23

頂き物を拝読。 売茶翁(1675~1763)。 茶を売る翁と書いて「ばいさおう」「まいさおう」と読む。文字通り、茶を売ることで暮らしを立てていた老人である。但し、この老人、只者ではない。若き日には禅の道を追求し、老いた後に還俗、茶を売るようになる。 翁が商ったのは、当時、僧の間...

頂き物を拝読。 売茶翁(1675~1763)。 茶を売る翁と書いて「ばいさおう」「まいさおう」と読む。文字通り、茶を売ることで暮らしを立てていた老人である。但し、この老人、只者ではない。若き日には禅の道を追求し、老いた後に還俗、茶を売るようになる。 翁が商ったのは、当時、僧の間で主流であった抹茶ではなく、煎茶である。茶道具を担いで出かけ、景勝地など人の多く集まるところに店を出す。茶を煮出して供し、対価は客任せ。 「茶銭は黄金百鎰よりは半文銭まではくれ次第。ただのみも勝手。ただよりはまけもうさず」 (お代は黄金百鎰(鎰は20両(または24両))から半文までいくらでもいいよ。ただにしてやってもいいが、それ以上は負けられないよ)と実に飄々としたものだった。 売茶翁がこうして売り歩いたことで、高級な飲み物であった茶が、庶民にも広まった。ために、煎茶の祖と呼ばれる。僧臭を脱却して、かつ俗臭に堕ちない、その精神性の高さに、多くの文人や画家に敬愛されたという人物である。 近年の伊藤若冲ブームで、若冲が描く仙人のような老人の肖像画を眼にした人もいるかもしれない。若冲は売茶翁の絵を10枚以上描いている。その他、池大雅、彭城百川(さかきひゃくせん)といった文人画家も売茶翁に傾倒し、翁の肖像を描いたり、翁とともに書画を合作したりしている。太田垣蓮月や富岡鉄斎など、後の世の茶人や文人にも翁を慕う人は多い。 本書は、こうした売茶翁の生涯を、手紙や記録などの史料から丁寧に追う1冊である。書画や墨跡、手紙の図版が75点収録されている。 なお、原著者は米国生まれの研究者であり、英語版が先に出版されている。本書はその和訳であるが、手紙は原文が活字に起こされ、かつ現代語訳が付されており、資料性が高いうえ、一般読者にも読みやすい形になっている。 売茶翁の生涯に関して、最も知られているのは、翁となってから、つまり、還俗して茶を売るようになってからである。これは主に京都でのことだが、翁の生まれは肥前(現在の佐賀県)である。武士の家に生まれるが、若いうちに僧侶となり、京都や仙台を行脚している。多くの高僧に眼をかけられる秀才ぶりを示していたようである。黄檗宗の僧として得度。厳しい戒律を重んじる律学に惹かれていたようだ。 一時は故郷に戻り、寺の住職代理を務めるが、50歳のとき、寺を他の僧に託し、京を目指す。その後、史料からは消息が知れない時期を十数年挟み、一度故郷に戻って、僧の地位を返上している。これはどうやら思想上のものというよりも、実務上の問題からなされた選択だったようだ。僧侶のままでは定期的に故郷に戻って許可証の更新をしなければならないが、俗人となって藩の公務に就いているという名目があれば、許可証を更新する必要がなかったようなのだ。もちろん、こうした公務は肩書きのみのようなものである。 そのとき、売茶翁は70歳前。10年後に再び長旅をするのは耐えられなかったというところだろう。 翁が生活のために茶を売って対価を得ることへの批判もあったようだが、翁にとっては僧が托鉢をするようなものであったようだ。 いかに高潔であっても、霞を食っては生きられない。 老骨に鞭打って茶道具を背負って景勝地に赴き、景色を愛でながら茶を供し、客と和やかに語らい、必要な分の金を得たら、店を畳んで帰って行く。 何だか『十牛図』の第十の布袋を見ているように思えてくる。 若き日、厳しい修行を経て、故郷の寺で住職になるよう薦められても受けずに代理に留まった自戒の人。 非儒非釈又非道 一箇風顚瞎禿翁 (儒者でも僧侶でもなく、はたまた道士でもなく、一人の風狂な禿頭の老人だ) と自嘲のような激しさも秘めた言葉も残る。 老境を迎え、遂に茶道具を背負う商いが難しくなってきたとき、翁は愛用の釜を焼却する。翁はその際、「世間の人の手に落ちて辱められたら、君(=釜)も私を恨むだろう」と述べている。 風流人を気取るもの、あるいは高尚ぶった似非茶人に、この「道」はわかるまい、という痛烈な批判のようにも受け取れる。 還俗はしても、翁は禅僧のままだったのではないだろうか。 人々に交わり、柔和な翁と親しまれても、心の内では厳しい禅の道を歩んでいたのだろうか。 表紙にもある若冲による肖像画は痩せた翁の風貌だが、池大雅は恰幅のよい福々しい肖像画を描いている。外面は若冲のものが似ているのだろうが、翁の精神性により近いのは池大雅筆なのではないか。すなわち、布袋の売茶翁。 翁の茶、どのような味わいだったのだろう。

Posted byブクログ