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さよならインターネット の商品レビュー

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36件のお客様レビュー

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2016/09/09

ずいぶんとインターネットのお世話になっています。 ネットのない生活なんて、もはや考えられません。 私がよく利用したり見たりしているのは、フェイスブック、ライン、ブログ、本のレビューサイト、ニュースサイト、好きな作家のコラム、ゲームアプリ、ユーチューブ、深夜に見る××といったあたり...

ずいぶんとインターネットのお世話になっています。 ネットのない生活なんて、もはや考えられません。 私がよく利用したり見たりしているのは、フェイスブック、ライン、ブログ、本のレビューサイト、ニュースサイト、好きな作家のコラム、ゲームアプリ、ユーチューブ、深夜に見る××といったあたりでしょうか。 ただ、ふと、こんなに長時間、ネットと関わっていていいのかな、と疑問に思うこともあります。 自覚があるだけ、まだマシかも、などと自分を慰撫しています。 それは42歳の自分の人生の前半生がまだ「アナログ社会」だったからかもしれません。 そんなことをつらつら考えていたら、たまたま新聞の書評で本書のことを知りました。 家入さんはネットサービスを利用した実業家で、その道の草分けと言ってもいい方。 2年前の東京都知事選にも出馬しているので、ご存知の方も多いかもしれません。 私なんかとは比べ物にならないほどインターネットの草創期からどっぷりとネットに浸かって来た著者は、ネットがかつてのような自由さや大らかさを失ったと主張します。 その要因は常時接続、無線接続、IoT。 もっとも、今の若い人に常時接続や無線接続といっても、「え? それって当たり前じゃないの?」という答えが返って来るのが関の山かもしれません。 そう、おじさんが学生だった20年前は、電話回線を通じてインターネットにつながっており、ダイヤルアップで自らネットに接続しなければならなかったのだよ。 ピーヒョロロ…なんていってね。 もちろん、パソコンでの話で、当時の学生の間ではPHSさえ持っている人が珍しく(私は持ってました。えっへん)、まして携帯電話なんて高嶺の花、スマホなんて見る影もない時代でした。 著者も本書で懐かしく当時を振り返っています。 「当時ネットを使うときは、有線でつながったパソコンの前に座り、『インターネットをこれから見るぞ』という意識を持ったうえで、接続していました」 本当にそうです。 当時の私にとってインターネットは「非日常」、画面の向こうに私の知らない世界が広がっていると思うとワクワクしたものです。 ちなみに卒業旅行のために貯めていたお金で、マッキントッシュのデスクトップパソコンを買いました。 今振り返れば、卒業旅行に行けば良かったかも。 というのはどーでもいい話です。 翻って今のインターネット環境はどうでしょうか。 著者は常時接続が当たり前になった結果、インターネットの「輪郭」が解けてしまったと指摘します。 つまり、日常と非日常の境目がなくなったというわけですね。 不用意なネット上での発言で炎上するだけならまだしも、ネット上の「警備員」と化したネット民から個人情報が暴露され、実際の生活にまで支障をきたすなんて例も枚挙にいとまがありません。 本書を読んで、私が怖いなと思ったのは、パーソナライズ化という流れです。 SNSやニュースキュレーションアプリなどを使い続けると、パーソナライズされて自分の趣味、嗜好に合った書き込みや情報ばかりが流れるようになるそうです。 つまり、別の見方や批判的な意見があっても、インターネット上では目に入らなくなってしまうのです。 ヘイトな言動が横行するのも、こうした現在のネット環境と無縁でないかもしれません。 著者は、「今のインターネットを俯瞰すれば、誰もが顔なじみの田舎者のような感覚を覚えます」といいます。 かつてのようにインターネットは開かれた世界ではなく、閉じられた世界だというのですね。 「かつて『インターネット的』と定義されたあらゆるものは、もはや『エクスターネット的』と同義だと思うのです」という指摘は、示唆に富んでいます。 著者は、ですから、敢えてインターネットの外に出ようと呼び掛けます。 寺山修二が「書を捨てよ、町へ出よう」と呼び掛けるのと同じ文脈でしょう。 たとえば、ふらっと一人で居酒屋へ行く、電車の中で周りを観察して観察日記を書いてみる、書店へ行く、何より孤独に浸る。 私は週末、天気が良ければキャンプに行く予定です。 スマホを家に置いて出掛けたいと思います。

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2016/09/05

これだけインターネットは普及したのに、パソコン用のものはほんとになくなってしまうのでしょうか。疑問です。

Posted byブクログ

2016/09/05

インターネットサービスで一世を風靡した著者が、そのインターネットによって救われた一方で、近年は息苦しさを感じてることを記した一冊。 著者自体、常にIT業界の最前線に立っているだけあって、説得力があった。

Posted byブクログ

2016/09/05

「さよならインターネット」という叙情的なタイトルが付けられた本作は、日本のインターネット黎明期に青年時代を過ごした一人の”山師”(敬意を込めながてこの呼称を付けさせていただく)が、日本におけるインターネットの変質とそれを超えて我々がどのようにインターネットと接するべきか、もしくは...

「さよならインターネット」という叙情的なタイトルが付けられた本作は、日本のインターネット黎明期に青年時代を過ごした一人の”山師”(敬意を込めながてこの呼称を付けさせていただく)が、日本におけるインターネットの変質とそれを超えて我々がどのようにインターネットと接するべきか、もしくは接しないべきかという点をまとめた論考である。 著者と僕は5歳違いであるが、自宅のPCから常時接続のインターネットに触れたとき(僕の場合は高校3年生のときだった)の興奮や感動の体験は共通している。そこでは、ブラウザを通じて能動的にアクセスすることで、自分の知らない世界に触れることができたわけだが、現代のインターネットはむしろ当たり前にそこにあるものであり、能動的にアクセスするという世界ではない。そうした変質と同時に、そのように明確な輪郭が失われたインターネットは、炎上やプライバシーの問題など、必ずしも僕ら世代がインターネットに触れたときのような純粋な感動のみを与えてくれる存在ではなくなってきているのも事実である。 こうした現代において、著者が主張するのは、「エクスターネット」的とも呼べる、インターネットの外や、インターネットの中にいながらもレコメンデーションロジックやSix degreesの関係性を超えたところへアクセスすることの重要性である。そして、インターネットの中でも外でも可能な生き方として、情報や人のハブとなり、新たな価値を生み出す場として、自らを「プラットフォーム」化させることの楽しさが説かれる。 これまで触れてきたインターネットの意味合いが自分にとって何なのか、そしてこれからどのような存在であったほしいのか、ということを自分なりに考えさせてくれる機会を与えてくれた一冊であった。

Posted byブクログ

2016/09/03

もっと文化論的な内容かと思ったら、最後にはただの啓蒙書になってしまった。「リバ邸」とか知らんし。しかも全然「さよなら」してない(笑)。かつて寺山修司が「書を捨てよ町へ出よう」と言ったが、そういう意味での「さよなら」である、とは受け取ったけど。 序盤の、ここ20年のインターネット発...

もっと文化論的な内容かと思ったら、最後にはただの啓蒙書になってしまった。「リバ邸」とか知らんし。しかも全然「さよなら」してない(笑)。かつて寺山修司が「書を捨てよ町へ出よう」と言ったが、そういう意味での「さよなら」である、とは受け取ったけど。 序盤の、ここ20年のインターネット発展史は面白かった。テレホーダイとか懐かしい。僕はヤフーチャットにどっぷりと浸かっていた口なので、著者の想いには共感するところも多かった。それこそ「現実とは違う仮想空間」で男女年齢住所不問の出会いが本当に癒しの空間だった。ハンドルネームひとつでもう一人の自分になれた時代だった。それがミクシーとかフェイスブックの登場でいつの間にか実名発信が普及し、あれよあれよという間にツイッターだラインだとなってきた。「現実とは違う仮想空間」は「現実によく似た仮想空間」に変わってしまった。まったく残念だ。たぶんそのうち、いやすでに?「現実と地続きの仮想空間」となるのだろう。技術の進化に、僕の進化は追い付かない(汗)。 つまるところ、現実だろうがネットだろうが、匿名だろうが実名だろうが、自分に責任を持って生きなければいけない。ということだ。

Posted byブクログ

2016/08/10

インターネットが消える前に およそ半世紀前に産声をあげたインターネット。その進化は社会、経済、文化、時間、人、あらゆるものを変化させた。 しかし常時接続、無線接続、IoTのなかでその姿は見えなくなり、自由と可能性に満ちた「世界」は、むしろ閉ざされつつあると家入氏は警告する。 パ...

インターネットが消える前に およそ半世紀前に産声をあげたインターネット。その進化は社会、経済、文化、時間、人、あらゆるものを変化させた。 しかし常時接続、無線接続、IoTのなかでその姿は見えなくなり、自由と可能性に満ちた「世界」は、むしろ閉ざされつつあると家入氏は警告する。 パソコン通信からSNSを経由し、サーバー事業やプラットフォーム事業、さらに都知事選まで、ネットに人生を捧げてきた氏は、なぜ今その「世界」に別れを告げるのか? 果たしてこれから先にやってくる「世界」の姿とは? これは、その「輪郭」を取り戻すための思想の旅。 【目次】 はじめに インターネットが「ハサミ」?/小さな世界の大きな価値/じゃあインターネットとぼくらはどこへ向かうんだろう 前章 インターネットが消える前に インターネットという言葉の意味が変わった/無意識のネット接続/輪郭を失うことによるリスク/インターネットは最初に儀式を失った/そして「輪郭」を失ったインターネット 第一章 やさしかったその世界─ユーザーからプラットフォーマーになるまで ぼくは確かにインターネットに救われた/やさしかった小さな世界/つながりたいことの可視化/「破壊の道具」や「逃げ込める先」としての期待/爆発し始めた自己表現/現実世界を侵食するインターネット/信じるに足る世界は確かに存在した 第二章 さよならインターネット─その輪郭を喪失するまで 「Web2・0」で決壊が始まった/ギークのためのインターネットの終わり/現実と同じ「つながり」をもたらすSNS/「Web2・0」の向こう側に姿を現したもの/即物的で現実的な期待の中で/ソーシャルゲームに参入しなかった理由 第三章 輪郭が失われた世界─まだそこは信頼に足るものだったのか 終わりの始まり/クラウドファンディングという光/輪郭が溶けたことによるポジティブな側面/「個人」の再発見/政治とインターネット/そして余る「時間」/インターネットの輪郭をつかまえる 第四章 インターネットは「社会」の何を変えたか インターネットは何を変えて、変えなかったのか 社会 インターネットの世界はむしろ縮小している/祭りの場すら閉ざされる/インターネットに怯える人々/警備員だらけの相互監視社会/パノプティコン化したインターネット/シェア、フラット、フリー 文化 あふれる表現者と不足する鑑賞者/無理強いされた表現としての「批評」/「欲しがらない名無しさん」から「欲しがる名無しさん」へ/かつての「匿名性」は奥ゆかしさをもたらしてくれた/目出し帽を被る覚悟 経済 インターネットがポジティブな変化をもたらした分野/激減したコミュニケーション・コストがもたらしたこと/進む「CtoC」と「シェア」/コピーできるものにお金は集まらない/お金に生まれた新しい価値/善意も炎上する 第五章 インターネットは「私たち」の何を変えたか 時間 誰もが別の時間を歩み始めた/細切れになった時間/常に「オン」の弊害 空間 不幸な伝言ゲームが蔓延した/あえて伝言ゲームをしたがる人たちの登場/サードプレイスの登場 人 人の価値はポイントで決まる/「装置」になりたい人/人は「概念」にもなれる/あなたの友達はネットが選ぶ/変わる家族の意味 第六章 ぼくらはインターネットの輪郭を取り戻せるのだろうか インターネットの輪郭を取り戻すということ/分断された世界の外へ向かおう/エクスターネット的/Six degrees の外に行こう/世界を強制的に変えてみよう/書店に行こう/プラットフォーマーになろう

Posted byブクログ