武士道の誤解 の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
江戸時代の武士道はサラリーマン化しており、葉隠が世に出たのは大戦前であったこと、殉死禁止令など武士道も時代によって変遷してきた事がわかりました
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同じアジアにありながら、中国にも韓国にもない。「武士道」について、そんな書き出しで始まる。 もはや武士道など日本にもないはずだが、その芳香は強烈にとどまっている。だが、果たして武士道への理解は正しいのか? そもそも武士道って一様なのか? それを説く本。 主従にイデオロギーを持...
同じアジアにありながら、中国にも韓国にもない。「武士道」について、そんな書き出しで始まる。 もはや武士道など日本にもないはずだが、その芳香は強烈にとどまっている。だが、果たして武士道への理解は正しいのか? そもそも武士道って一様なのか? それを説く本。 主従にイデオロギーを持ち込む「名分論」が武士道のルーツだと言うが、これは中国産である。武士道は戦国中には尊ばれるが、江戸になって平和が訪れると廃れてきて、「士道」なる異なものが生まれる。死ぬことと見つけない道である。というか、サラリーマン道である。 だがやはり、平和すぎると暴走する輩が出るのは今も昔も変わらずなのか、死ぬことと見つける「葉隠」は、この士道が出現した後の、死に遅れたものの美学として登場する。ところが、この葉隠が研究者の前に登場するのは昭和になってから。 となると、明治時代の忠節は何に起因しているのだろうか。 なんと、明確ではなかったという。すげえな何が忠誠の対象かわからず軍人をやっていたのだ。新渡戸稲造の「武士道」も、大筋は好意的に見つつ、個人の好みからくる杜撰さがあると指摘する。そして「葉隠入門」の三島由紀夫。 常に武士道らしきものは時代とともにいいように解釈されている。解釈改憲のようなものだと言ったら斬られてしまいそうだが。だがそれを傍観したか、主体的に関わっていったかが価値なのかもしれない。
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