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女官 の商品レビュー

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2021/03/20

明治天皇、昭憲皇太后に仕えた女官のエッセイ。 マスゴミが垂れ流す下品で興味本位、捏造と憶測だらけの皇室ゴシップに対して事実を伝えるという姿勢のとおり、明治時代の御所の生活が淡々と語られる。 戦前の、国家元首として自らの立場を自覚し、威厳を保ちながらも威圧的には振舞われない天皇...

明治天皇、昭憲皇太后に仕えた女官のエッセイ。 マスゴミが垂れ流す下品で興味本位、捏造と憶測だらけの皇室ゴシップに対して事実を伝えるという姿勢のとおり、明治時代の御所の生活が淡々と語られる。 戦前の、国家元首として自らの立場を自覚し、威厳を保ちながらも威圧的には振舞われない天皇、皇后両陛下に対する敬愛が伝わってくる。 愛犬六号と花号の弔意?、昭憲皇太后の予知夢(これは本当にぞっとした)、宮中に伝わる幽霊?、伊勢神宮での予兆など不思議なエピソードもそのまま伝えられており、万一作り話だったとしても(そうは思わないが)そのまま信じてしまう筆致である。 筆者の考えは当時としては進歩的なのだが、立場を弁え、その上で主張は主張として落ち着いて語っている。 このあたり感情のまま喚き散らし、しかもそれを当然とする現代のフェミとはまさに「格が違う」。 戦後日本の「情けない姿」とはこのことではないだろうか。 難点は、ふりがながないため漢字の読み方がほとんどわからない。漢字なので意味はおおよそわかるのだが、気になると1ページごとにスマホで漢和辞典を引く破目になり、異常に時間がかかった。 そもそもタイトルが「じょかん」なのか「にょかん」なのか。人名も難しく、服飾用語は知らない単語ばかり、とどめは宮中用語で「仕人」「供奉」「行啓」… 日本人として不勉強を痛感した。

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2020/11/29

とにかく大正天皇と皇后が好きじゃなかったんだろうなという印象 お妾とかズバズバ書いていて面白かった。

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2020/05/16

明治天皇の晩年に宮中で仕えた女性の手記。著者はなかなかのお転婆で毒舌だ。 若さと愛嬌で可愛がられていたのが所々からうかがえる。 皇太子時代から大正天皇にアプローチされたり、退官が決まった後いろいろな人から縁談を持ちかけられたりとなかなかのモテぶりだが、初恋を成就させて好きな人と...

明治天皇の晩年に宮中で仕えた女性の手記。著者はなかなかのお転婆で毒舌だ。 若さと愛嬌で可愛がられていたのが所々からうかがえる。 皇太子時代から大正天皇にアプローチされたり、退官が決まった後いろいろな人から縁談を持ちかけられたりとなかなかのモテぶりだが、初恋を成就させて好きな人と結婚するなど結構しっかりとしている。 そもそも可愛がられて育ったが「女は嫁に行くのが全てであり従順であれ」という常識に反発して出仕の話に乗ったことからも好奇心と行動力のある女性なのだろう。 「明治宮中の闇をあぶりだす一級資料」とあるが、驚くほどのようなことでもないと思う。 むしろ天皇皇后の人間味あふれた様子や、立場ゆえのふるまいなどがある。 女官同士のいざこざは多少あるが、それはどこの時代、どこの世界にもあることだろう。 退官後に家庭に入り子供を持つ友人と話が合わなかったことや、女性が仕事を持つ・持たない悩みも今の時代にも通じるものがある。 また、皇室が京都から移ってきたばかりの時代であり、側仕えの人たちも京都出身の人が多いためか、風習や食べるものが関東とは違うのも興味深かった。

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2018/12/19

明治天皇の治世末期に女官として仕えた著者の回想録。宮中の様々な出来事、習慣などは中々世の中に出て来ないので、貴重な記録といえる。著者も、本書を著したのが戦後という事情もあろうが、かなり思い切った出版だったのではなかろうか。ほんの数年の経験ではあるが、宮中のしきたりや出来事がリアル...

明治天皇の治世末期に女官として仕えた著者の回想録。宮中の様々な出来事、習慣などは中々世の中に出て来ないので、貴重な記録といえる。著者も、本書を著したのが戦後という事情もあろうが、かなり思い切った出版だったのではなかろうか。ほんの数年の経験ではあるが、宮中のしきたりや出来事がリアルに描かれている。 この文庫本のために書かれた原武史の解説が面白い。本書で引っかかったところ、気になったところが見事に解説されている。

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2018/11/27

堂上公家・久世家の姫様は、明治天皇の后・美子皇后付の女官として 18歳で宮中に上がった。 「宮中で見聞きしたことは他言ならぬ」。 その禁を破って、著者が自身の体験を綴ったのは退官から約40年後 の昭和35年だから、明治天皇も美子皇后もお許し下さるだろう。 江戸時代...

堂上公家・久世家の姫様は、明治天皇の后・美子皇后付の女官として 18歳で宮中に上がった。 「宮中で見聞きしたことは他言ならぬ」。 その禁を破って、著者が自身の体験を綴ったのは退官から約40年後 の昭和35年だから、明治天皇も美子皇后もお許し下さるだろう。 江戸時代の大奥ほどではないにしろ、奥向きの仕事を担う女性ばかり の生活はきつかっただろうなと感じた。オブラートに包んだ書き方を しているが、妬み・嫉みが渦巻いていたのだろう。勿論、著者を気に かけてくれた方もいたが。 他にも直に接した明治天皇と美子皇后のお人柄がしのばれるエピソード、 両陛下の日常のご生活の様子、宮中の年中行事についてなどが、宮中 言葉を交えながら描かれている。 特に印象に残ったのは大正天皇に関する記述だ。元々病弱であったのに、 元勲たちから明治天皇と同等の資質を求められ、心のバランスを崩して しまった不運な天皇。得意であった和歌や漢詩の才能や、明治天皇とは 違うのだと言うことを周囲が認めていれば、大正時代はもう少し長った のではないかとの印象を持っていた。 だが、本書では歴史書では知りえない大正天皇の一面が記されている。 皇太子時代の大正天皇は宮中へ上がった際に著者に目をつけていた。 そのご執心は明治天皇崩御後、新帝として即位してからも変わらない。 新たな両陛下にお仕えする話を断り、皇太后になられた美子皇后付の まま青山御所へ移っても、何かと理由を設け青山御所へ赴き、必ず 著者を名指ししてお召しになっている。 大正天皇のご執心に薄々気がついていた皇太后は、名指しでのお召しが あれば病欠という手を使い、御前に出ないよう気を浸かって下さる。 実母ではないが、母として息子である大正天皇のこのお振舞いを、 苦々しくお思いだったのかもしれない。 著者は皇太后崩御後に退官し、数年後に結婚するのだが、大正天皇は この結構ん披露宴の日時までご存じだった。不敬を承知で言う。ここ まで来るとストーカーだ。 ただ、美子皇后を実の母であると信じて疑わなかった大正天皇が、 実母は側室であることを知った時の衝撃は大きかったのだろうな とは感じる。 巻末には宮中の言葉の一覧、今は失われてしまった明治宮殿の見取図 が掲載されている。明治の終わりから大正の始めにかけての宮中を 知るのに貴重な資料でもある。

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2018/11/18

明治四十二年、子女の自由が無視され、本当に女はつまらないものだと思っていた作者が自活の道を探っていたときにもたらされた、宮中奉仕の話。と冒頭から引き込まれる。 無責任な噂話を否定するために書かれたという出仕当時の話は、貴重な資料だろう。

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2018/05/06

明治天皇と皇后に仕えた女官の手記。 ひと言、とてもおもしろい! いろいろ、皇居内のことについては外から妄想が膨らむところではありますが、中で働いた人の視点で当時の様子が感じられるのは貴重なことですね。 宮中文化にはもちろん興味がありましたが、読み物としても十分おもしろかったです...

明治天皇と皇后に仕えた女官の手記。 ひと言、とてもおもしろい! いろいろ、皇居内のことについては外から妄想が膨らむところではありますが、中で働いた人の視点で当時の様子が感じられるのは貴重なことですね。 宮中文化にはもちろん興味がありましたが、読み物としても十分おもしろかったです。

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2018/02/21

明治四十二年に出仕し、昭憲皇太后の崩御までを宮中で過ごした人の回顧録だ。 昔読んだ林真理子さんの『ミカドの淑女』でも、本書が参考文献に挙がっていたような記憶がある。 当時は図書館にでも行かないと読めない状態だっただろう。 私にとっては林さんの小説が先で、こちらが後となったわけだ...

明治四十二年に出仕し、昭憲皇太后の崩御までを宮中で過ごした人の回顧録だ。 昔読んだ林真理子さんの『ミカドの淑女』でも、本書が参考文献に挙がっていたような記憶がある。 当時は図書館にでも行かないと読めない状態だっただろう。 私にとっては林さんの小説が先で、こちらが後となったわけだが、もう二十年近く前に読んだ小説の内容が髣髴としてくる瞬間が何度もあった。 「天下広し」の紙を貼った缶。 筆者に仕えた老女の名がフキ。 あれ? どこかでもそんな名前の老女が出てきた気が。 まさか老女のことを宮中ではフキというのではないだろうかと思ってしまった。 質実剛健な明治宮廷の雰囲気。 豪胆にして磊落な明治天皇、思慮深く大勢の気性も異なる女官を円満にまとめあげる美子皇后。 こうした理想的な主人に懸命に仕え、若さゆえの失敗も楽し気に語る筆者。 もちろん、そこには懐旧の情からくる美化もあったと思われるが、やはり面白い。 いちいちそれをここに書くわけにはいかないが、一つだけ。 書物など重いものを運ぶのに「橇」という道具が使われていた。 こう書いて「ずり」と読むそうだ。 引きずって運ぶから「ずり」なんだろうか。

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2017/11/28

 明治天皇と皇太后に5年間仕えた、華族出身山川三千子が、その晩年、昭和35年に宮中での体験を綴った手記。 一般人は垣間見ることもできない、その雅な生活を惜しみなく暴露している。  入浴は上半身(清)を洗う人と下半身(次ぎ)を洗う人は区別され、足を拭いたもので手や肩をふくことはない...

 明治天皇と皇太后に5年間仕えた、華族出身山川三千子が、その晩年、昭和35年に宮中での体験を綴った手記。 一般人は垣間見ることもできない、その雅な生活を惜しみなく暴露している。  入浴は上半身(清)を洗う人と下半身(次ぎ)を洗う人は区別され、足を拭いたもので手や肩をふくことはない、とか、11月3日の新嘗祭には、両陛下が日常使うお召、夜具、化粧道具から火鉢に至るまで全て神事用に取り換え、取り換えることのできない大きな家具などは何度も拭き清めて切火をするなど、宮中内の行事や習わしを紹介。その神秘的な世界にため息が出る。  明治と言えば、日清日露戦争で日本全体が疲弊し、決して裕福ではなかったのに、宮中は平和そのもの、おさがりの着物や献上のお菓子などふんだんにあったようです。  いまさらのように知って驚いたのが、天皇には権典侍(ごんてんじ)というお妾職がおり、子供に恵まれなかった皇太后に代わって男の子を生み、それが後の大正天皇になっているということ。徳川家の大奥に通じるものがある。

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2017/04/14

 昭憲皇太后に仕えた元女官の回想録。原著は1960年刊行。著者の山川三千子は子爵久世通章の娘で、宮中退官後は植物学者の山川黙(会津藩家老の山川家出身)の妻となった人だが、本書の本文では明示されていない。また、文体が口語調であることから口述筆記が元になっている可能性を疑うが、編集や...

 昭憲皇太后に仕えた元女官の回想録。原著は1960年刊行。著者の山川三千子は子爵久世通章の娘で、宮中退官後は植物学者の山川黙(会津藩家老の山川家出身)の妻となった人だが、本書の本文では明示されていない。また、文体が口語調であることから口述筆記が元になっている可能性を疑うが、編集や刊行の経緯等の説明はない。原著刊行当時は皇太子明仁親王(今上天皇)成婚に際して、さまざまな宮中「暴露もの」の記事がメディアで出ており、それらの「虚偽」に対する批判と修正を意図していたことだけは伺える。  史料としては二次史料で、しかも彼女の在官期間は1909年から1914年、明治天皇と昭憲皇太后の最晩年に限定されており(しかも天皇在世中は「御雇」扱いで権掌侍の正式任官は天皇死後)、伝聞情報も多く、信憑性という点で注意が必要だが、同じ宮中の「奥」仕えでも、男性の侍従には日記や回想が少なからずあるのに、女官のものは本書以外には皆無と言ってよく、原則男子禁制の「御内儀」の様子を覗える貴重な史料であることは確かである。明治天皇と昭憲皇太后に対しては絶賛・称賛一辺倒である一方、大正天皇と貞明皇后に対しては相当な悪感情を示しているが(柳原愛子に対しても「世話親」だったにもかかわらず冷淡である)、当時の宮中の人間関係全体の中で著者がどういう立ち位置であったのか、バイアスを慎重に吟味する必要があろう。

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