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あの日、僕は旅に出た の商品レビュー

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2016/07/02

バッグパッカーを対象とした雑誌『旅行人』(1993~2011年、前身の『遊星通信』は1988年~)を主宰した蔵前仁一(1956年~)の、所謂半生記である。 本書は、蔵前氏が大学を卒業し、東京でフリーのイラストレーターをやっていた1982年、26歳のときに(沢木耕太郎が『深夜特急』...

バッグパッカーを対象とした雑誌『旅行人』(1993~2011年、前身の『遊星通信』は1988年~)を主宰した蔵前仁一(1956年~)の、所謂半生記である。 本書は、蔵前氏が大学を卒業し、東京でフリーのイラストレーターをやっていた1982年、26歳のときに(沢木耕太郎が『深夜特急』の旅に出たのも26歳!)、東京での生活と仕事に嫌気がさして、友人の「インドにでも行ってみたら?」という一言に乗り、インドへ2週間の旅をしたところから始まる。 前半では、その後『遊星通信』を発刊するまでの中国、東南アジア、南アジア、中東、アフリカ等への旅の様子が主に描かれるが、日本人の見ず知らずのオヤジに、仕事を辞めて長旅をしていることについて説教される場面、「「あんた、『おしん』を見たことがあるかね」「あれを見なきゃダメだ。『おしん』を見れば、おれのいっていることがわかるよ」 ネパールがどこにあるのかも知らず、アフリカでなにが起こっているのかも知らない人間が、『おしん』を見ろと僕にいう。僕が興味があるのは『おしん』ではなく、あなたが興味のない世界のことなんだよ。それを知りたいのだ。ネパールがどこにあるのか知ることが僕にとっては大切なことなのだ。だから旅をしているのだ。」は、多くのバッグパッカー的旅行人の思いを代弁している。 そして、後半では、旅行人というよりも出版人としての、ミニコミ誌『遊星通信』・『旅行人』の発行、(他社が出さない辺境地の)ガイドブックの制作・発行、他のバッグパッカー仲間の本の出版などについてのエピソードがこれでもかと語られる。中でも、まだ『地球の歩き方』でも出ていなかったバングラデシュのガイドブックを発刊した際に、日本在住のバングラデシュ人から、「バングラデシュのガイドブックつくってくださって、ありがとうね・・・このガイドブック、とってもうれしいですね。ほんとにお礼をいいたくて電話しました・・・ほんとにうれしいですよ。いい本ですね。ありがとうごじゃいます」とお礼の電話がかかってきたというエピソードは、前述の説教オヤジへの蔵前氏の反論と本質は同じであり、世界に生きる人々がお互いに知り・知られることを求めており、そして、それを実現することが今の世界に生きる我々にとって最も大切であることを、図らずも思い出させる。 私は、1987年の年初、蔵前氏がバンコクから飛んできて30年振りの大雪で震えていたアテネの街を、同じようにバッグパックを背負って歩いていたが、もしかするとプラカ地区の道ですれ違っていたのかもしれない。。。 バッグパッカー的旅好き+本好きにとって、懐かしく、楽しめる一冊である。 (2016年6月了)

Posted byブクログ