国家を考えてみよう の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
民主主義の政治は、国民の頭のレベルをまともでかなり高いものと想定して、前提にしている。つまり、民主主義の社会に「バカな国民」は一人もいないことになっている。「その国の政治のレベルは、国民のレベルの反映」、愚かな政治家を選ぶのは国民の責任である。 「国家には二段階の歴史がある」 ○国家を英訳 → 「nation」「state」 ・「nation」(=国民)が表すのは、「国民国家」、すなわち「近代国家」。 ・「state」(=「領土」) 国家は「領土の確保によって出来上がる」 ○漢字でいうと 「國」… 「領地をぶきで守って、さらにこれを城壁で固める」 国防重視?
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国家とは、国民である。 国家とは、領土である。 国家について2つの考え方がある。 言われてみれば、確かに。 国家=国民とばかり思っていたが、過去の歴史を振り返れば、当時は領土という考えが当たり前であった。 そればかりか、国家という概念さえなかったのである。 国家とは何ぞやと著者の...
国家とは、国民である。 国家とは、領土である。 国家について2つの考え方がある。 言われてみれば、確かに。 国家=国民とばかり思っていたが、過去の歴史を振り返れば、当時は領土という考えが当たり前であった。 そればかりか、国家という概念さえなかったのである。 国家とは何ぞやと著者の持論が展開される。 まどろっこしさも感じてしまったが、国家について考えるというのはそういうことなのだろう。 一種の哲学なのだ。 国家について考えた後は、憲法につながっていく。 紆余曲折を経てきた日本の歴史だが、現在は国家=国民である。しかし、現政権においてはむしろ国家=為政者というような状況が散見される。 そんなことを考えると政治において、国民が蔑ろにされており、憲法に関する政府の考えも頷ける(賛成という意味ではなく)。 為政者は国民の「代表者」であり、「指導者」ではない。 しかし、国民の側でも、国家=国民という認識を持ち、憲法は誰のためのものなのかということをしっかりと認識しなければいけない。 「みんな勉強して頭がよくなると、政府の方も政治がしやすくなって、一般の人間も”政治の支配で苦しむ”ということがなくなる。そういう日本人が増えれば日本は大丈夫だと思って、私はその一点で学問を勧めるのである」(P70)という福沢諭吉の「学問のすすめ」の訳が原文と共に紹介されているが、今こそこの言葉を肝に銘じるべきであろう。 憲法改正に関する国民投票が行われる可能性の出てきた今、誤った判断をしないためにも、国家、憲法について考え、自分の意見を明確にしなければと思った。 1つだけ、「日本は単一民族国家」(P95)というような記載があったことが気になった。 日本は単一民族国家ではないと思う。
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この夏はじめて選挙権を得る若い人たちだけでなく、「国家」とか「政治」なんてよくわからないと思いながらなんとなく投票してきている大人にとっても、読みやすく(橋本治らしくひじょうにしつこくくどい文体ではあるけれど、その必然はあるわけで)勉強になる一冊。 日本で「国家」がどのような存在...
この夏はじめて選挙権を得る若い人たちだけでなく、「国家」とか「政治」なんてよくわからないと思いながらなんとなく投票してきている大人にとっても、読みやすく(橋本治らしくひじょうにしつこくくどい文体ではあるけれど、その必然はあるわけで)勉強になる一冊。 日本で「国家」がどのような存在でどう捉えられてきたのか歴史的にたどりなおすことで(日本の封建制度の移り変わりから明治維新の展開まで)、そして世界の「国民国家」の成立過程と日本のそれとの違いをよく考えることで、日本人の多くが政治に当事者意識が持てない理由がみえてくる。部活になぞらえたナショナリズムの説明も中高生にはわかりやすそう。 西洋の社会契約論をベースに福沢諭吉の説いたことなどから、国民としての判断力やそのための知識をもつことが「民主主義」を支えているのだ、すなわち、わたしたちはバカじゃいけない、わからないなんて逃げていてはいけない、もっと当事者意識を持とうよ、という強いメッセージが伝わってきた。
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