現代イタリア幻想短篇集 の商品レビュー
「現代イタリア幻想短編集」では、カルヴィーノ・モラヴィア・ブッツァーティなど自分が知っている作家を一通り読んでみたのですが、いやはやモラヴィアの短編のぶっ飛びかたは半端じゃないなあ。長編と調子が違う(笑)。 モラヴィアのこういうの集めた短編集ないかなあ?(2009 03/12) ...
「現代イタリア幻想短編集」では、カルヴィーノ・モラヴィア・ブッツァーティなど自分が知っている作家を一通り読んでみたのですが、いやはやモラヴィアの短編のぶっ飛びかたは半端じゃないなあ。長編と調子が違う(笑)。 モラヴィアのこういうの集めた短編集ないかなあ?(2009 03/12) 「現代イタリア幻想短編集」から、昨夜はボンテンペッリとランドルフィの短編を読みました。前者が「巡礼」、後者が「ゴキブリの海」。あんまりこういう既知なものへ結びつける捕らえ方はよくないのですが、前者は始まりと終わりのない「タタール人の砂漠」、後者は海に出たカフカあるいはシュルツ…といった感じです。前者は戦争中ファシズム政権に半ば協力した格好になった自分の反省を現した作品、後者の「ゴキブリ」は幻想で船長になっている子供の脳内部にあるナニモノか…と、想像すれば、自分にはすぐ「ミクロの決死圏」という映画が連想されます。なんか家族でこの映画だけは揃って見てたからなあ、何故か… ランドルフィに戻って、この人のみの短編集を前に読んだはずなのですが、実をいうとその時にはあんまり印象がなかった。んだから、また読み直してみたいなあ、と思っています。ボンテンペッリの方は他に翻訳されている作品はあるのだろうか? (2009 04/29) 昨日は「鰯の自伝」(マレルバ)と「リゲーラ」(ラペンドゥーサ)を読む。「鰯」の方は、人間である現実の世界と、スペインのビスケー湾で鰯として生活している夢の世界が、次第に逆転していくというもので自分好みの作品なんだけど、「リゲーラ」はちょっと異なる。ギリシャの異教の使いであるセイレーンと性交したギリシャ古典学者の話。 (「カフカセレクション」の中にも、セイレーンとオデッセウスの掌篇があったっけ) (2010 11/28) 昨日の朝読んだ現代イタリア幻想短編集のある作家は、イタリア未来派に属したのち、参戦主義の未来派(マリネッティ)と別れ、リアリズムな文体に戻った…その頃の作品が掲載されています。でも、擬音語が主役である…などに未来派運動の名残を感じます。(パラッチェスキの「禁じられた音楽」)。 (2010 11/30) 今日はサヴィニオの「「人生」という名の家」を読んだ。この人画家のキリコの実の弟で主にパリでシュルレアリスムの芸術家と親交を持ったという。母と同居している家を出てとある家に迷い込んだ青年は、この広い家の中で常に同じ曲の繰り返しがヴァイオリンで奏でられる中、常に誰かがすぐさっきまでいた形跡を残す部屋に次々に入り込んでいきます。 なんだか、「閉じられ」ていないのは、この作品中の家の中だけでなく、この人の作品(これしか読んだことはないけれど)全体に言えることではないだろうか?と考えてみる。それはこの作家が人間の精神世界を常にそのような開かれた存在とみているからではないのか?などと考えてみる。 物語内容は「タタール人の砂漠」と共通の部分あり。こういうテーマはイタリアの共通文化というか通奏低音みたいなものだろうか?ひょっとしたら・・・ イタリアに限らないと思いますが、まだまだ知らない作家、でも自分には興味を惹かれる作家というものがたくさんたくさんいるのですね。 (2011 03/09)
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久しぶりに本を読んで鳥肌が立ちました。どの作品のすごいです。ブッツァーティの「魔法の上着」はこの本でなければ、今はなかなか探すのが大変かもしれません。とにかく、すごい短編集でした。
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