なぜ、猫とつきあうのか の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
たぶん動物をかわいがる人がふえてきて、かわいがり方のレベルが向上するのかどうか知りませんが、かわいがり方が気になってきたっていうことは、逆に言うと、人間社会の人間関係っていいましょうか、それがきつくなったっていうこととかかわりがある気がします。(p.49) ワンちゃんていうのは、かわいがる人とかその家の人っていうのをよくわかっていて、たとえば岡田さんがワンちゃんを飼うと、岡田さんがたとえば職場で同僚とけんかして、面白くないとおもって憂鬱そうに帰ってくると、ちゃんとワンちゃんはもう憂鬱そうにしますからね。(p.52) 現在っていうこと自体は、むきだしの本質であっても、悪でもなければ善でもないです。現在の中核にあるのは、善でも悪でもない、そういう言い方すれば必然がむきだしにしてくる本質が核だと感じます。(p.190) 猫は人につくのではなく家につくというのは、ほんのすこし言い方がちがうような気がする。人は竪に親和して住むのに猫は横に親和して住むと言った方がよいのではなかろうか。わたしの家で親和感をしめしている猫が、見知らぬ家でも同じような親和感をしめている事がありうる気がする。だから新しく引越した家で逃げられてしまったとしても、どこかでまた親しい家を見つけて暮らしていることは間違いないと思える。(p.200) 猫の愛情表現は死に方も含めてすべて人間とは異なり予想外のことが多く、気持ちがすれ違った時には大変ショックなものだ。でも最近は、そのショックを含めて、あの、家の中に自分たちとは違う種類の生き物が全く違う優先順位で物事を決めながら生きているという感覚こそが、猫を飼うということなのかもと思おうようになった。犬は、いつもどこかに野生の緊張感はあるものの人づきあいとかなり似ているし、愛情をかけた分、ほぼ人間の意にそう形で必ず返してくれる。しかし猫は必ずしも人間が好む形で愛情を表現するとは限らない。(吉本ばなな、p.216) 父はその汚れて臭い亡骸のことを全くかまうことなく、すぐ近くの床にべたりと座って、ほんとうに優しく力を込めてその猫の頭をぐるぐるっと撫でながら、「いい猫さんだった、いい猫さんだった」と言った。 それがわたしの父と猫との関係のすべてだと思えた。 もし父が臭いとか汚いとか少しでも思っていたら、わかったと思う。 もし父が「大みそかだし早くごはんが食べたい」とか「いちおう最期の挨拶をしておこう」くらいの感じだったら、少しがっかりしたと思う。 そうではなかった。父は全身でそこにいたし、猫の死に寄り添っていたし、言葉を捧げていた。 わたしは今もその場面を大切に抱いている。(p.220)
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ある猫好き作家くんが、この本についてどこかで語っていましたが、まだまだなんだそうです。なかなか、厳しい。まあ、しかし、猫が好きな人は読んで損はないと思いますね。
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なんでも小難しくするので吉本隆明は好きになれない。 20年ほどまえに行われた対談なので、最近の動物行動学の知見はなく、迷信めいた解釈も多いが、昔のほうがロマンがあってよいと思った。吉本ばななのあとがきがなかなか良い。
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