魔法の夜 の商品レビュー
アメリカ東海岸、コネチカット州南部の海辺の町。8月の夏の夜明けの魔法の夜。少女、小説を書く男、見守るじょせう、酔っ払い、家に忍び込む少女たち。。 詩のような短文集。アメリカに生まれ、暮らした人たちには心にしみる描写なのだろうと思いました。
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5/28 読了。 八月も終わりに近づいた日の深夜、コネチカットのとある町で、月明かりの下、人や人ならざるものが蠢きだす。胸のざわめきを抑えられずに家を飛び出した少女、ひとつの小説を書き続けている中年男とそれを見守る老女、夜な夜な他所の家に押し入るアイパッチをつけた少女たちの軍団、...
5/28 読了。 八月も終わりに近づいた日の深夜、コネチカットのとある町で、月明かりの下、人や人ならざるものが蠢きだす。胸のざわめきを抑えられずに家を飛び出した少女、ひとつの小説を書き続けている中年男とそれを見守る老女、夜な夜な他所の家に押し入るアイパッチをつけた少女たちの軍団、庭で逢引するカップル、動き出したショーウィンドウのマネキンと、屋根裏に打ち捨てられたぬいぐるみたち。月光に包まれた魔法の一夜、それぞれの彷徨は一瞬交差してはまた離れていく。ミルハウザーらしい詩情に溢れたマジカルな中篇小説。 断章の積み重ねによって群像劇を描きだす構成で、全体が散文詩のよう。「夜の声たちのコーラス」や虫の鳴き声の章などは、そのまま切り取っても詩として成立しそうな音楽的な響きを持っており、ミルハウザーのリリカルな部分を凝縮したような小説になっている。また、足穂の『一千一秒物語』に入っていても違和感のない月にまつわる会話の章もある。『エドウィン・マルハウス』の作中作「まんが」に対しても思ったことだが、ミルハウザーの<夜の作家>としての資質や、アニメーション及び黎明期の映画に対するノスタルジーの部分が足穂と共通しているために、ときどきハッとするほど似通うところが出てくるのだろう。 人びとの営みと、それをぎごちなくトレースするマネキンやぬいぐるみたちの動きが交互に描かれるのは、「探偵ゲーム」(『バーナム博物館』収録)に近い手法だと思う。アイパッチの少女たちは「夜の姉妹団」(『ナイフ投げ師』収録)だ!などなど、過去のミルハウザー作品のトリビュート的な側面もある。このアイパッチ少女たちがとても魅力的で、家に押し入っては「私たちはあなた方の娘です」と書かれたメモを残していく謎の軍団なのだけども、コードネームがそれぞれ<夏の嵐>(サマー・ストーム)、<黒い星>(ブラック・スター)、<夜に乗る者>(ナイト・ライダー)、<紙人形>(ペーパー・ドール)、<追越車線>(ファスト・レーン)なのがいかにもアメリカの女子高生っぽく、且つセンス良い。ひと仕事終えて喉の渇いた少女たちと、少し頭のイカれた(moonyあるいはlunatic!)中年女性との、レモネードを通じたささやかな交流の場面が印象に残っている。 短い話なのもあり、和訳が出る前に原書を読もうと思い立って半分くらいまで読んだのだが、結局読み終わらないうちに和訳が出てしまい、たまらず先に読んでしまったのだった…。そんなハンパな理解でしかないが、日本語と英語の違いを一番感じたのは本書の「月」に次ぐ頻出単語「緑」の音についてである。日本語の「緑(ミドリ)」という音はどちらかといえば昼の太陽光に照らされて濃くクッキリした色合いを思わせる。対して英語の「green」という間延びした音は、gloom(薄暗い)やgleam(かすかな光)という言葉を連想させ、夜の月光の下で内側からぼんやりと光るようなプラスチックな響きがあるのだ。特にgreenの畳み掛けによって呪文のような効果をなす一文は、日本語になると少し妖しさが減ってしまうような気がした。しかし、改めてミルハウザーの原文にあたったことで、柴田訳の的確さを知ることもできた。装飾的な文章で抑えるべきポイントや、映像的な言葉の選び方など、現代作家の中では柴田さんと一番相性がいいのはミルハウザーじゃなかろうか。
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徹頭徹尾『ミルハウザーらしさ』に溢れていた。 作り物めいた世界、『夜』をテーマにした世界、『魔法』という言葉がぴったりな小説もなかなか無いが、これほど相応しい邦題もなかなか無いだろう。惜しむらくはウッカリ昼間に読み終えてしまったことだ……。 秋になって、月が綺麗に見えている時に再...
徹頭徹尾『ミルハウザーらしさ』に溢れていた。 作り物めいた世界、『夜』をテーマにした世界、『魔法』という言葉がぴったりな小説もなかなか無いが、これほど相応しい邦題もなかなか無いだろう。惜しむらくはウッカリ昼間に読み終えてしまったことだ……。 秋になって、月が綺麗に見えている時に再読したい。
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