墜落のしかた教えます の商品レビュー
エルキャピタンのノーズを1958年に初登したバッツォことウォレン・ハーディングの自叙伝的な一冊。タイトルとは異なり、手引書的な内容はそう濃くはない。中身はかなり遊び心、風刺が満載で終始テンションの高い一冊。先立って読んだ「垂直に挑む」で昭和30年代に使われていたクライミング技術に...
エルキャピタンのノーズを1958年に初登したバッツォことウォレン・ハーディングの自叙伝的な一冊。タイトルとは異なり、手引書的な内容はそう濃くはない。中身はかなり遊び心、風刺が満載で終始テンションの高い一冊。先立って読んだ「垂直に挑む」で昭和30年代に使われていたクライミング技術に興味を持って読んでみた。 クライミング技術については、1975年(昭和50年)の時点でもまだシットハーネス が存在しない為、腰にロープを直接巻いている。ビレイに至ってはまだビレイデバイスは存在せず、これまた腰の後ろに回して止めると言ったもの。懸垂下降にカラビナブレーキと言う技術が使われていて、のちのビレイデバイスに繋がる可能性が見えた。クライミングシューズもまだ存在せず、重登山靴を履いた登攀。よって現在我々が想像する「クライミング」とはかなり様子が異なる。それらの技術の進歩が高難度なルートの攻略に貢献している事には異論は無いけども、当時既に5.11のルートが登場していた事に強く驚いた。 更に興味を引いたのが、クリーン・クライミングについての一連の論争で、要はルート開拓に埋め込みボルトを使い過ぎる、と言った著者に対する批判だった。現在既に開拓されたフリーのルートを登っている我々がこれを理解するには少し想像力を使う必要があって、面白いのはこの当時、クリーン・クライミングの提唱者であれど、必ずボルトを打っていたと言う事。彼らがやっていたのはルートの開拓そのもので、その最中にボルトの数であーだこーだ争っていたと言うのはとても面白い。個人的には著者に同意する。完全フリーでない以上、どちらも変わらないと思う。当時の感覚は「あーA0やっちゃった」みたいな現代とは全く違うのです。 クライミングの歴史を知るのにとても面白く読めた。いわゆるクライミングシューズ(ボリエールのフィーレ)が登場するまで、まだここから10年以上の月日が必要なのでありました。
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