1,800円以上の注文で送料無料

少女たちの明治維新 の商品レビュー

3.8

4件のお客様レビュー

  1. 5つ

    1

  2. 4つ

    2

  3. 3つ

    0

  4. 2つ

    1

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2021/04/03

明治初期、岩倉使節団とともにアメリカに渡り、その後10年強、アメリカで暮らし、あまりかで学んだ少女たち(山川捨松、津田梅子、永井繁子)の物語。日本人と結婚し、日本で暮らしたことのある女性によって書かれているのは一つのポイントだと思います。 捨松がアメリカで暮らした家の娘・ベーコン...

明治初期、岩倉使節団とともにアメリカに渡り、その後10年強、アメリカで暮らし、あまりかで学んだ少女たち(山川捨松、津田梅子、永井繁子)の物語。日本人と結婚し、日本で暮らしたことのある女性によって書かれているのは一つのポイントだと思います。 捨松がアメリカで暮らした家の娘・ベーコンなど、3人が濃厚に関わったアメリカ人たちが頻繁に登場し、彼女たちがアメリカの友人・知人に宛てた手紙とその返事が多く紹介されているのが、話に深みを持たせていると思います。 明治初期の熱狂的な文明開化時期に渡米しならが、戻ってきたらすでに熱は冷め、日本的であることを大切にする風潮が強まっています。科学技術は変らず欧米化が進んでいますが、女性のあり方などは顕著に反動化していたと言ってもいいでしょう。 国費留学でありながら戻ってみたら居場所がない。その葛藤がひしひしと伝わってきます。国は放置したというのに、3人、特に捨松と梅子は、自分の名をあげてたいという個人的な欲望と同時に、国費で留学した以上、国に恩返しをしなくてはいけないという想いを持ち続けいています。良くも悪くも、武士としての矜持を捨てなかったのでしょう。 津田梅子は津田塾の創始者として歴史に名を残し、教科書にも必ず載っていますが、他の二人はそれほど知られていません。特にアメリカの大学を首席で卒業している捨松については、大山巌夫人として、鹿鳴館の貴婦人としての活躍程度しか知られていませんが、本書は捨松につていの記述に多くをさいていて、未だ本格的に研究されていない彼女の再評価の先駆けになった言えるのではないかと思います。 伊藤博文が節目節目で登場します。僕はもともと伊藤は好きな方ですが、さらに好きになりました。時代的な制約を考慮するなら、当時の伊藤は非常に開明的で偏見が少ない人だとわかります。 時代を切り開く困難さと、それを引き受ける覚悟と、時代は行きつ戻りつして少しずつ前に進むのだということが感じられました。 お薦めです。 https://amzn.to/3rF3mJG

Posted byブクログ

2019/07/27

本書を読んで、明治黎明期は指導者一人一人が歴史に残った「英雄の時代」だとあらためて痛感した。 本書の主人公の少女たちはこの時代に生まれていなければ「普通の女の子」として生きたのではないだろうか。時代が彼女たちを歴史の表舞台に押し上げていったのだろう。 彼女たちの足跡を追う本書の精...

本書を読んで、明治黎明期は指導者一人一人が歴史に残った「英雄の時代」だとあらためて痛感した。 本書の主人公の少女たちはこの時代に生まれていなければ「普通の女の子」として生きたのではないだろうか。時代が彼女たちを歴史の表舞台に押し上げていったのだろう。 彼女たちの足跡を追う本書の精密な描写にも驚く。300ページを超える本なのだが明治の空気と息づかいにはワクワク感を最後までもてた。 著者がアメリカ人のであることにも驚く。日本の歴史家たちが取り上げるべきジャンルはまだまだあることを教えてくれる。 日本にしろ世界にしろ、女性が活躍しようとすると未だに「ガラスの天井」があると言われるが、少女時代から苦闘した先人の生き様には多くの勇気と教訓があると思った。

Posted byブクログ

2020/03/11

明治のごく初期に、少女の身で米国へ渡った留学生たち。 日本初の女子留学生の波乱の半生を細やかに描くノンフィクション。 明治4年、岩倉使節団とともにアメリカに渡ったのは、5人の少女たち。 苦難の旅に懲りてすぐ帰国した子もいたが‥ 着物姿の少女たちは日本のプリンセスと(半ば誤解され...

明治のごく初期に、少女の身で米国へ渡った留学生たち。 日本初の女子留学生の波乱の半生を細やかに描くノンフィクション。 明治4年、岩倉使節団とともにアメリカに渡ったのは、5人の少女たち。 苦難の旅に懲りてすぐ帰国した子もいたが‥ 着物姿の少女たちは日本のプリンセスと(半ば誤解されて)歓迎され、裕福な家庭で娘同様に育てられたそうです。 山川捨松(後の大山捨松)は長身で優秀、大学を主席で卒業するほど。 ただし、帰国してみたら、母国にはその優秀さを活かす場がなかった。渡米した当時よりもある意味では保守化していて、女子の教育を推進する空気ではなかったのだそう。 後の陸軍卿・大山巌に請われて後妻となり、鹿鳴館の花と謳われることになります。 会津藩の家老の末子だったことを思うと、何とも激動の人生。 津田梅子は年下で大学を卒業せずに帰国したせいもあって、当初は仕事がなく、悔しい思いをします。 けれども皆で力を合わせて「女子英学塾」をひらいて、それが後には「津田塾大学」となるのですから、今では一番有名と言ってもいいぐらいですよね。 永井繁(後の瓜生繁子)は、順調に音楽の教員になり、安定した暮らしを得ます。 捨松が滞在した家の娘アリスが親友となり、日本に来て長く教育にたずさわることになったり。 知らなかった事情がいろいろあって、味わい深く読めました。 教育の大切さはもちろんですが、新しい道を切り開いていく勇気やパワーはどこから出てくるのでしょう。 今の日本は彼女たちから見たら、びっくりするほど進んでいるのか、それとも‥?(笑) いや~かなりの部分は進んでいると思うのですが。 まだまだと思われてしまうところもあるかな、などと考えました。

Posted byブクログ

2016/10/25

 1871年の岩倉使節団に随行した日本最初の遣米女子留学生を追ったノンフィクション。書簡を中心に広範な史料を収拾し、留学生活や帰国後の変転を丁寧に跡付けているが、日本史や教育史の理解が大雑把で(誤りも散見される)、修士号を取得した著者にしては学術的な分析は弱い。この時の留学生では...

 1871年の岩倉使節団に随行した日本最初の遣米女子留学生を追ったノンフィクション。書簡を中心に広範な史料を収拾し、留学生活や帰国後の変転を丁寧に跡付けているが、日本史や教育史の理解が大雑把で(誤りも散見される)、修士号を取得した著者にしては学術的な分析は弱い。この時の留学生では津田梅子のみ突出して有名で先行研究も豊富だが、本書ではむしろ山川(大山)捨松に主人公格を与えており、未だ本格的に研究されていない彼女の再評価に先鞭をつけたと言える。

Posted byブクログ