この生あるは の商品レビュー
1958 年に日本の居留民帰国事業の最後の船で帰国した、中国残留孤児の記録。 養父母に託された後も、実母姉はしばらく帰国できず、いざ帰国する時に著者を連れ帰りたいと思うが、既に養母との間に絆ができていた。 中国東北部の農民としての苦労をしているが、自ら言わない限り日本人であること...
1958 年に日本の居留民帰国事業の最後の船で帰国した、中国残留孤児の記録。 養父母に託された後も、実母姉はしばらく帰国できず、いざ帰国する時に著者を連れ帰りたいと思うが、既に養母との間に絆ができていた。 中国東北部の農民としての苦労をしているが、自ら言わない限り日本人であることが知られないほど、受け入れられて育ったと読める。 帰国時の汽車の車内の描写から、当時は日本より中国の汽車の方がよほど清潔に保たれていたことがわかる。 著者は非常に運がよかったのかも知れない。しかし、山崎豊子の世界との落差は大きい。考えさせられる。
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中国残留孤児による中国での生活から日本に帰国するまでを語ったもの。 終戦の際に中国人がまんとうをもたせてくれたというエピソードは非常に新鮮だった。 食べ物がなくて親から死んでいくという、子どもを優先する親の強さを感じた。
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