世界の高等教育の改革と教養教育 の商品レビュー
設置基準の大綱化により、一般教育と専門教育の区分けがされなくなって以来、大学における教養教育の意義が絶えず議論になっており、論争は未だ収束に至っていない。そうした中、本書では、欧米及びメキシコそしてアジアを含めた各国の高等教育制度の事例をコンパクトに紹介している。その事例は、最近...
設置基準の大綱化により、一般教育と専門教育の区分けがされなくなって以来、大学における教養教育の意義が絶えず議論になっており、論争は未だ収束に至っていない。そうした中、本書では、欧米及びメキシコそしてアジアを含めた各国の高等教育制度の事例をコンパクトに紹介している。その事例は、最近の情勢を調査したり、かなり前の資料を読み解いたり、執筆者の専門を生かした内容となっている。特に近年のフランスやロシアのモスクワそして台湾の事例を、一冊に集約したことは意義深い。 各章からいえることは、洋の東西を問わず、高等教育機関における教養教育の実態は、以前と比べ縮小傾向にあることである。他方、複数の事例から、教養教育のキャリア教育化も指摘されている。例えばサルコジ大統領(当時は内務大臣)が、古典文学を実務では役に立たないものといったことを紹介している。しかし、やや毛色が異なるのは、ロシアの事例である。モスクワ大学においては、「「哲学」、その他文化的素養作りの科目提供にはモスクワ大学全体として幅広い合意があり、異を唱える教員等がいない」(p.58)と報告されている。ただこの例は稀であり、5章の最後で、ヴォルガ連邦大での取材記録を挙げ、「大学が一流の知性を関与する空間であるとすれば、スキルばかり重視する“イノベーションの担い手たる人材養成機関”にはもはやそれを期待できないのかもしれない。」 と結んでいる。 アメリカの事例は、6、7、8章で構成されやはり大きく取り上げられている。福留によるカリキュラムの史的な整理、吉田のカリフォルニア州の報告は、執筆者それぞれの研究を整理・深掘りした安定感が感じられる論稿だった。他方8章の的場報告は、非常に新規性があると思った。異なる年度の授業科目便覧を10冊集め、科目数、加除のあった科目名、学費といった比較可能な項目を丁寧に分析している。マウント・ホリヨーク大学における一般教育の増を、経済の国際化と労働市場からの求めに対応するために、非常勤講師を増やしていたことが報告されている。 日本の事例となる13章は、他の章と論調が異なりイデオロギー色が濃くなっている。ここまで調査報告を積み上げてきて最後にどう日本のケースを見るかに関心があったが、報告のスタイルに違和感を感じた。
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