聖女伝説 の商品レビュー
感想を言語化するのが難しいなぁ。理解出来たような気になっている部分もあれば、全体像は掴めていない気もする。そんな読後感が懐かしくて、読んだ人と意見を交わしたいと思った。
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謎の男・鶯谷が頻繁に出入りする家で両親と共に暮らす少女の目を通して、猥雑で不可解な世界を生き延びていく少女小説。 既読の二作(『百年の散歩』と『献灯使』)に比べ、フェミニズム的なテーマがわかりやすく示された作品。「獣姦」とか「精液」とかいう単語がでてくるのに語り手の年齢が九歳...
謎の男・鶯谷が頻繁に出入りする家で両親と共に暮らす少女の目を通して、猥雑で不可解な世界を生き延びていく少女小説。 既読の二作(『百年の散歩』と『献灯使』)に比べ、フェミニズム的なテーマがわかりやすく示された作品。「獣姦」とか「精液」とかいう単語がでてくるのに語り手の年齢が九歳と言われてびっくりするのだが、その精神性はほとんど変わらないままいつのまにか十八歳まで時が飛んでいる。幼児からとっとと少女になることを求められ、”成人”になることは求められないという社会的な性役割を表しているかのよう。女は聖人になれないのか、「聖人の母」にしかなれないのか、という問いはそこにもかかっていたりするのかな。 テーマはわかりやすいとはいえ、内容は多和田葉子らしい謎に包まれてもいる。聖女を目指してことあるごとに聖句を唱える少女が語り手なので、窮屈で息苦しい切迫感が常にある。シュヴァンクマイエルの本と続けて読んだせいか『オテサーネク』的な実写アニメで脳内に映像が浮かんできたし、わかりやすく似ているというわけじゃないけどテーマ性的にガルシア=マルケスの「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」も連想した。思春期に入ってからの男友だちとのやりとりなんかは少女漫画のモノローグっぽくもあり、純文と少女漫画って近しいよなぁと思う。福永信の解説を読むと、この作品をフェミニズム小説と考えること自体当たり前じゃなかった時代があったということにしみじみし、ぞっとした。
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掴みどころのない文章 少女の純潔と淫乱が入り交じって不気味だけど神聖さがあるような 少女の不安定さが心に重たいけれど綺麗な文章で読みやすい
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多和田葉子さんを読むのは2作目。初めて読んだのはアンソロジーに入っていた作品で「この作家さん、凄い文章書く人だなあ!」と衝撃を受けたのを覚えています。クリスチャンの少女が主人公。一言で言い表せない、不思議な物語全体に散りばめられた言葉の意味や語感の響きが絡み合い、複雑な文様の織物...
多和田葉子さんを読むのは2作目。初めて読んだのはアンソロジーに入っていた作品で「この作家さん、凄い文章書く人だなあ!」と衝撃を受けたのを覚えています。クリスチャンの少女が主人公。一言で言い表せない、不思議な物語全体に散りばめられた言葉の意味や語感の響きが絡み合い、複雑な文様の織物を織り上げるように物語が編まれていく。ラストに向かって速度を上げて迸る言葉、文章は自動筆記を思わせるよう。現実と空想、他者の記憶まで織り込まれた渾然一体の世界は多和田葉子さんにしか書けない独特の世界だと思います。
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だいたい置いてけぼりにされたけど、なんか雰囲気が凛としているので古本屋に売ったり捨てたりするのが忍びなく、かといって人に渡すにはタイトルも内容もちょっと見られたくない感じでそれもできない。
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多和田葉子の初期作品。単行本は1996年の刊行で、長らく品切れ状態で、Amazonの古書価格も高騰していたらしい。 帯には『少女小説』とあるが、書き下ろしの続編『声のおとずれ』と併せて読むと、あまり『少女小説』という印象は受けない。少女が主人公であるという意味では『少女小説』なの...
多和田葉子の初期作品。単行本は1996年の刊行で、長らく品切れ状態で、Amazonの古書価格も高騰していたらしい。 帯には『少女小説』とあるが、書き下ろしの続編『声のおとずれ』と併せて読むと、あまり『少女小説』という印象は受けない。少女が主人公であるという意味では『少女小説』なのだろうが、言葉のイメージから受ける無機質さとは無縁で、逆に生々しい肉体が触覚に訴えかけて来る。この触覚に訴えかける感じは、『少女小説』としてはけっこう異質なのでは? そして、20年経って書き下ろされた『声のおとずれ』は、少女性は残されているものの、『少女』ではないような気がする。
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