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不在の哲学 の商品レビュー

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2019/07/09

 中島義道、久々の本格哲学書である。  中島の著作は哲学書、哲学入門書、エッセイの大きく三種類に大別されるが(例外中の例外として小説も書いているがこれは除外する)、専門である哲学書・哲学入門書よりも、専門外のエッセイの方がはるかに多くの読者を獲得しているのは皮肉である。久々の本格...

 中島義道、久々の本格哲学書である。  中島の著作は哲学書、哲学入門書、エッセイの大きく三種類に大別されるが(例外中の例外として小説も書いているがこれは除外する)、専門である哲学書・哲学入門書よりも、専門外のエッセイの方がはるかに多くの読者を獲得しているのは皮肉である。久々の本格哲学書となった本書は、広い論域と深い思考に裏打ちされた、期待を裏切らない秀作となっている。  中島は冒頭で「無」と「不在」の違いについて論じ、これまで多くの哲学者たちが語ってきた「無」は、実はそのほとんどが「不在」であると闊歩する(確かにサルトルが『存在と無』において開陳した「無」は、存在の否定形なのだから紛れも無く「不在」であろう)。しかし中島は「無」を語ろうとはせず、「不在」をキーワードに認識論的観点から存在論を紡いでゆく。サルトルが「無」を「存在」に依拠させたのとは対照的に、中島はむしろ「不在」に支えられて「存在」は成立しているのだと説く。  中島は言う。「われわれ人間は有機体としてもともと自己中心化しているが、その有機体が言語を習得することによって脱自己中心化し、さらに二次的自己中心化する」と。その通りだと思うが、言語の習得によってなぜ脱自己中心化が進捗するか、という説明があまりなされていないのが残念であった(そこが本筋ではないし「それぐらい分かってくれよ」と作者は言いたいのかも知れないが)。しかり、言語によってわれわれは他我の存在を知り、その反作用として自我が生まれる。言語がなければ、世界における私の不在としての「私の死」を認識できない。「AをA´として」という認識構造によって他者も私も誕生する。中島の説く認識論は廣松渉の「四肢構造」にも通じるものがあると思う。 「われ思う、ゆえにわれ有り」というあまりにも有名なデカルトのテーゼに疑問を投げかける第四章「不在としての私」から、議論は俄然スリリングになってくる。中島は言う。「われ思う」だけでは、「私」は登場してこない。過去において存在していた「私」と、それを思い出している現在の「私」とがつながったときに、初めて「私」は出現する。「私は考えた、ゆえに、私はあった」という方が正しいのだ。「過去の私」の方が一次的であり、「現在の私」は二次的に過ぎないという議論は、時間の原型は過去であるという中島の時間論とも整合する。私が「私の不在(死)」を発見(あるいは発明?)して初めて「私」は誕生するのだから、「私の死」と「私の誕生」はまさに表裏一体と言っていいだろう。  また第六章「多元的原事実」では、自由の問題が俎上に載せられる。偶然も必然も、言語によって制作された膨大な「不在」としての可能性が見せている幻想に過ぎない。あるのはただ現実のみである。そして自由は、責任が問われる場面において発生する。何らかの過ちが起こったとき、われわれは「あのときああしていれば」「あのときああしていなければ」と考える。「あのとき自由だったはずだ」という過去に対する後悔もしくは帰責の念が、現在および未来に拡大される。自由の原型は過去形であるというこの主張にもまた、過去本物論者としての中島の時間論が反映されている。  中島に問いたい。「過去の私」と「今の私」の結合によって自我が誕生し、責任によって自由が捏造されるのだとしたら、人工知能から自我は発生しうるだろうか。内部知覚は自我の発生の条件ではないと中島は言うが、であれば身体を持たない人工知能も自我および自由を持ちうるのだろうか。 『明るいニヒリズム』もそうだったが、本書も最後の着地点は「私の死」である。「哲学の最大問題は死である」と『哲学の教科書』で宣言しているとおり、中島の哲学は「死」を根源的なモチベーションとしている。「あと数年生きて思考することが許されるなら、今度こそは『無』に挑もうと思う」と中島はあとがきで書いている。ぜひ挑んでほしい、と切に願う。

Posted byブクログ

2019/01/18

序章 実在と不在 第1章 不在というあり方 第2章 不在と“いま” 第3章 不在としての過去 第4章 不在としての私 第5章 観念としての客観的世界 第6章 多元的原事実 終章 不在と無

Posted byブクログ