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声に出して読みたい禅の言葉 の商品レビュー

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2023/10/27

「自分が自分が」という執着を断つことが禅 日常のことを丁寧におこない、味わいながら生活することも悟り=坐禅と同じ ごく当たり前を無心にやる →「三昧」そのものに無心になる。没頭する。 形がないものに悩みがあるはずがない。それがわかれば安心したはずだ 31【掬水月在手】 水を掬...

「自分が自分が」という執着を断つことが禅 日常のことを丁寧におこない、味わいながら生活することも悟り=坐禅と同じ ごく当たり前を無心にやる →「三昧」そのものに無心になる。没頭する。 形がないものに悩みがあるはずがない。それがわかれば安心したはずだ 31【掬水月在手】 水を掬すれば月手に在り 花を弄すれば香衣に満つ 水を掬った手に月が映り、花と戯れていたら着物に香りが染み込んだ 美しくて、漢詩「春山夜月」をみてみたいと思った。 34【放下著】捨てるものはないということさえ捨ててしまえ。身心脱落ー雑念を落としてゆく。力を抜いてゆく。 39 自然に委ね心は静寂で、人の世の煩いは断っている。なんと快いことだろう、頼るもののない自由さは。 43ごはんができたらありがたいありがたいと無心に目の前のことを喜ぶ自然体の生活。 79体中の元気を、臍下、気海、丹田、腰脚、足心(土踏まず)に意識を持っていき、気血が運ばれ温かくなってくる。息を深く長く吐きながらイメージを広げ、頭寒足熱で下半身を温めると気が充実する。このような観想を1週間ないし3週間続ければそれまでの五臓六腑の気の滞りや、心気の衰えのための冷や汗、疲れといった症状はすっかり治るであろう。 95「これくふて 茶の目」茶菓子を食べてお茶でも飲んで、まあ一休みしなさいという軽やかさ。 もっと禅について知りたくなる。

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2016/06/26

齋藤孝さんによる禅語の提唱だけど、例えばこうやって臨済録をかいつまんで読んで、読んだ気になってしまうのはもったいないなぁって思う。 拈華微笑じゃないけど、そこに笑える自分があることがありがたくて、うれしくて、ちょうどその時、東博に雪舟の慧可断臂図が来ていて、涙が出た。 それからず...

齋藤孝さんによる禅語の提唱だけど、例えばこうやって臨済録をかいつまんで読んで、読んだ気になってしまうのはもったいないなぁって思う。 拈華微笑じゃないけど、そこに笑える自分があることがありがたくて、うれしくて、ちょうどその時、東博に雪舟の慧可断臂図が来ていて、涙が出た。 それからずっと、慧可の爺さんの腕を持って歩いている。 そもそも禅語は抽出してしまうとクドいものが多くて、結構な頻度で鼻につく。言ってしまえば、提唱なんて大きなお世話。 こういう話は本来は対機的に使われるもので、公案だって顔を見ていればわざわざ過去の文献から拾って来なくたっていっぱいあるはず。 他所から借りてきた言葉を使うのってもったいないくらい、本当は、一日の情報量ってすごい。 だけどその大きなお世話が無いと、わからないこともある。 ずっと師匠がいないから、隻手の声を聞くために、提唱本にもすごく助けられた。 齋藤孝さんの生徒さんは、若い時にいい先生に出会えて、羨ましい。 寒山、信心銘、読んでみます。 千雲万水の間を逆さまに読んでみたら面白かった。 「塵累なし」は、本当に「人の世のわずらいを絶っている」なのかな。

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2016/07/14

P197 わび、さびと言われる芭蕉の俳句は 「主(私)が取り去られているところに 趣がある やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声 蝉はやがて死ぬのだが たとえ今日死のうが そういうことに蝉は頓着しない。 蝉はあたかも自分を投げ出すことで 自分を生かすことになるとばかりに ひたす...

P197 わび、さびと言われる芭蕉の俳句は 「主(私)が取り去られているところに 趣がある やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声 蝉はやがて死ぬのだが たとえ今日死のうが そういうことに蝉は頓着しない。 蝉はあたかも自分を投げ出すことで 自分を生かすことになるとばかりに ひたすら鳴いているだけだ。 自分へのこだわりを捨てることが 本当の意味で自分を大切にすることになる。 ☆「我がモチベーションになる」 「自分をなくしたらやる気がおこらない」 という答えがここにある。

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