回復するちから 震災という逆境からのレジリエンス の商品レビュー
震災、そして、土地と一体になった身体性について深く考えさせられる。 著者に一貫しているのは、強さと弱さを併せ持った人間への信頼だ。 心が震える。何のために自分はここにいるのか、また、いられるのか。 ・辺見庸:人間存在というものの根源的な無責任さ ・使命感は無力感と裏腹であり...
震災、そして、土地と一体になった身体性について深く考えさせられる。 著者に一貫しているのは、強さと弱さを併せ持った人間への信頼だ。 心が震える。何のために自分はここにいるのか、また、いられるのか。 ・辺見庸:人間存在というものの根源的な無責任さ ・使命感は無力感と裏腹であり、ある種の抑圧を招きやすい。 ・災い転じて福となる。災禍はあざなえる縄のごとし、というほど生易しいものではないのが現実ですが、震災により極限状態に追い込まれた人たちの、普段は見たくないものを直視しなければならないが故の苦しみのなかから、ある種のたくましさ、よい意味での諦念、新たな生命力の喚起への道程が、開かれる瞬間があることに気づかされます。 ・悲しみの感情を受け容れるためには、自分自身を追い詰めるのではなく、自らの身体を健康に保つ必要がある。 ・目に見えないものへの抗議、喪ったものの大きさ、そして傷つけられた彼らの誇りが、健康を取り戻すことを自らに許さないのだ。 ・PTSDは大きなストレスから半年以内に発症すると言われているが、今回はこの条件に当てはまらないケースが圧倒的に多かった。 ・苦しいが、どうしようもない現実がそこにあるとき、ナイーブな感傷や、センチメンタリズムとは対極のつよさ、たくましさが要求される。 ・「復興」という言葉で一括りにされたくない、多様で、血の通った、あらゆる営みに敬意を表し、かつて経験したことのない多くの感情を、受け容れ、呑み込み、どう生きていったらよいのだろうか。言葉や善悪を越えた次元で、人びとの回復するちからを信じ、ときに立ち止まりあるいは後ずさりしながら、ともに進みゆくことがだけが、自分たちにできる全てなのかもしれない。 ・世間では逃げずに奮闘した人ばかりが美化される傾向が目立ったが、美化も差別と紙一重だ。あらゆる選択肢があっていい。あらゆる生きざまが尊重されて然るべき。 ・この土地の回復を見届けることは、現代社会が失いつつある大切なもの--人が生きていく上で欠くことのできない根源的な何か--を取り戻す道程に繋がってくる。
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烏兎の庭 第五部 書評 4.10.16 http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto05/bunsho/kai.html
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