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異郷の友人 の商品レビュー

2.7

15件のお客様レビュー

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2016/05/03

神というものの存在を,一つのあり方として料理した物語,阪神大震災の震源地,淡路島を舞台に始まり,最後は東北地震に終わる.コンピュータを介しての啓示というのが,現代風.

Posted byブクログ

2016/04/08

転生の記憶が消えないうえに複数の他人の記憶をリアルタイムで知ることができる男と、淡路島の新興宗教と、アメリカの天才ハッカー集団が絡まる。 読み始めてすぐ「ああ、これは好きなやつだ」と思ったのだけど、進むにつれて難解で諦めそうになった。 どこまでが真実で妄想なのだ。

Posted byブクログ

2016/03/11

語り手は「私」と「吾輩」という2つの一人称を同時に使い、 しかも今は「ヤマガミ」という青年であるがかつては石原寛治でありフロイトでありテレンティウスであったといい、 その上ほかの登場人物の意識を覗いて記述することも出来るという。 なんだかわけのわからないメタメタな構成である。 ...

語り手は「私」と「吾輩」という2つの一人称を同時に使い、 しかも今は「ヤマガミ」という青年であるがかつては石原寛治でありフロイトでありテレンティウスであったといい、 その上ほかの登場人物の意識を覗いて記述することも出来るという。 なんだかわけのわからないメタメタな構成である。 けれど「語り手」のその立ち位置というのは要するに、 登場人物に憑依してその視点で物語世界を見るという「書き手」、すなわち小説家自身のことを、 SF的に、もしくは寓話的にとらえ直した私小説なのではないか、とも思う。 「中二の時に他人の意識が流れ込んでくるのを感じるようになった」というようなくだりはつまり、 「このころから妄想と自意識の線引きが出来るようになって、自分でない別の人格としての物語を造り始めた」という「書き手」自身の独白であって、また、 「吾輩に起きていることは全て私の妄想なわけだ」という一文は、 「吾輩」を「語り手」に、「私」を「書き手」に読み変えることも出来る。すると、そのあとの御託云々はそのまま、書き手の「意識の流れ」そのものだ。 物語を産む「書き手」とは、その世界においては創造主なのである。神なのである。 しかしこの世界の「神」は自分自身が物語の中に入り込んでしまっていて、「語り手」たる主人公に「語られて」しまってもいる。 「私」が溢れまくっている。「私」があり余る。「私」以外にも「私」はいるの。 という、そんな「私」小説である。 主人公は「私」という概念そのものなのかもしれない。 文学の世界の中で「私」はこれから、どこに行けばいいのだ。どこに行くのだ。

Posted byブクログ

2016/03/07

芥川賞候補作。 選考委員の山田詠美の評が、的を得ている。 「いかすアイディアがいくつも出て来る。」「知識も豊富っぽいし、頭のいい人が書いた小説なんだなーっ。でも、そんな頭のいい人が、何故それらの締めに津波を使ってしまうのか。」 震災はこんな軽々しい作品に用いるべきでは無い...

芥川賞候補作。 選考委員の山田詠美の評が、的を得ている。 「いかすアイディアがいくつも出て来る。」「知識も豊富っぽいし、頭のいい人が書いた小説なんだなーっ。でも、そんな頭のいい人が、何故それらの締めに津波を使ってしまうのか。」 震災はこんな軽々しい作品に用いるべきでは無いし、震災で亡くなった方に対する冒瀆に他ならない。

Posted byブクログ

2016/01/27

以前、雑誌に掲載されているものを読みました。 →http://ameblo.jp/sunnyday-tomorrow/entry-12100190986.html

Posted byブクログ