集団就職とは何であったか <金の卵>の時空間 の商品レビュー
素晴らしい労作。 確たる定義もない「集団就職」について、多くの人が一面だけを見て、あるいはステレオタイプで語ることに否定的な著者が、多くの地方紙や都道府県の行政資料を駆使してまとめ上げた一冊。 著者は集団就職について、「広域職業紹介制度」「集団赴任制度」「集団求人制度」によ...
素晴らしい労作。 確たる定義もない「集団就職」について、多くの人が一面だけを見て、あるいはステレオタイプで語ることに否定的な著者が、多くの地方紙や都道府県の行政資料を駆使してまとめ上げた一冊。 著者は集団就職について、「広域職業紹介制度」「集団赴任制度」「集団求人制度」によってもたらされた集合的な就職・移動現象と位置付ける。 で、1930年代の凶作で東北地方において身売りが増加したことへの対応として集団就職(的なもの)が生まれたということなのだが、これはなかなか唸る。一部の軍人がそれによってクーデターに傾く一方で、文民は雇用のミスマッチの解消によって問題を解決しようとしていたといえそうだ。 ミスマッチの解消という観点は本書の肝だ。 1930年代は戦時経済の拡張期で、重化学工業の新興財閥が急成長し、重要産業統制法による企業合併も多く、まとまった労働需要が発生した時期だ(もしかして日本の歴史上初?)。 この時期に地方の若年層を都市部に移す制度が始まったのは整合性がある。 戦後についても同様だが、国内で人手不足となると、沖縄あるいは韓国や台湾に求人開拓が向かい、オイルショックでその動きが鎮静化するというのも整合的だ。 本書の範囲ではないが、昨今の外国人労働者受け入れ議論も。 集団就職というと、都市周辺部で人材を確保できる大企業ではなく零細企業・個人商店に就職することが多い。そこでは労基法も関係ない丁稚奉公のような、前近代的で劣悪な環境だったりしたので否定的に捉えられることが多い。 しかし著者はその見方は一面的だという。確かにそれはひどいけど、もっとひどい人身売買(身売り)に代わるべく模索されたのが集団就職なのだから、そういう評価をしてもよいではないか、と。 あと、興味深かったのは「県民性」について。 集団就職は道府県労働局が主体となって求職活動をし、若者を送り込む(良い働き手になるために中学生に合宿訓練を行ったりする)制度であるが、その際に「よい県民性」をアピールしていたという事例を著者は拾っている。 祖父江孝男が中公新書の『県民性』を刊行したのは1971年だが、これが売れたのは集団就職における県民性のアピール合戦がリアルタイムで行われていた時期だったからなのかね。著者はそう示唆している。
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