18歳から考える国家と「私」の行方(西巻) の商品レビュー
読みたい本がたくさん見つかった。資本主義とか、そういう「枠」そのものを超えるのはとてもゾクゾクすること。
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【由来】 ・ 【期待したもの】 ・ ※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。 【要約】 ・ 【ノート】 ・ 【目次】
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※このレビューにはネタバレを含みます
・マルクス経済学は、一言でいえば、「資本主義による生産システムや交換システムは人間社会の矛盾を拡大する」という結論に向かっているものです。その「人間社会の矛盾」についてはいくつかの視点で分析されているのですが、そのひとつは「労働疎外」というものでした。資本主義のもとでの労働は、それがどのようにしくまれていようとも、人間の意識に「疎外」をもたらすというのです。 疎外というのは理解しにくいかもしれませんが、かんたんにいえば「自分でやっていることが自分のものと感じられなくなっていく」ということです。それゆえ、よく「自己疎外」というふうにつかわれる。 ・なぜグレゴール・ザムザにこんなことがおこったのかという説明はいっさいありません。カフカはあえて突飛な現象だけ記述したのです。 それが『審判』では、ヨーゼフ・Kが突如として逮捕されるところから話が始まります。でも、理由はやっぱりわからない。とにかく身におぼえは何ひとつないのに、Kは裁判にかけられるんですが、その裁判所がどこにあるのかも、わからない。それでも逮捕されたのだから、Kとしてはなんだか無実を晴らすしかなくなります。けれどもそもそもの罪状がはっきりしないんだから、何もはかどらない。まったくイライラするような空しいような時間がすぎていくだけです。しかしKは有罪を宣告され、石切り場で喉をナイフで抉られて死んでしまいます。それが『審判』です。 カフカが描いたことは、「私」と「世界とのかかわり」は説明できないということです。また自分のことも説明できないとも言っている。そこにはなんらかの「変化」はあるけれどそれが社会的な意味をもるとはかぎらない。それどころか、自分の実存はあるけれど、それしかないということです。
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SNSはぱーーそならいぜーションというフィルタリングを内蔵している。そのためユーz-あは自分が何を読んだかということもパーソナルなオーソライズと皆sれ、SNS側から、次によむべきものはこれとり込めんでーションをもらう始末。 インターネットを何にも邪魔されないで使うことは、今となっ...
SNSはぱーーそならいぜーションというフィルタリングを内蔵している。そのためユーz-あは自分が何を読んだかということもパーソナルなオーソライズと皆sれ、SNS側から、次によむべきものはこれとり込めんでーションをもらう始末。 インターネットを何にも邪魔されないで使うことは、今となっては不可能。
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