白虎隊 増補決定版 の商品レビュー
白虎隊についてはあまり詳しくないので、時系列でない、行ったり来たりの書き方が分かりにくかった。 例えば白虎隊の生き残り、飯沼貞吉について書いてある部分も、諸説が別々の章で書かれているので、スムーズに頭に入ってこないのだ。 幼い頃から「什(じゅう)の掟」で、人としてのあり方をしっ...
白虎隊についてはあまり詳しくないので、時系列でない、行ったり来たりの書き方が分かりにくかった。 例えば白虎隊の生き残り、飯沼貞吉について書いてある部分も、諸説が別々の章で書かれているので、スムーズに頭に入ってこないのだ。 幼い頃から「什(じゅう)の掟」で、人としてのあり方をしっかり教え込まれ、年長者の言うことを疑うことを知らなかった会津の少年たちは、自刃して果てることになんの疑問も抱くことはなく、もしかしたら恐怖すら感じることなく死んでいったのかもしれない。 そして藩主には、幕府を絶対に守ることが、会津松平家の初代である保科正之によって義務付けられていた。(保科正之自身は、徳川ゆかりの松平という姓をおそれ多いと名乗っていない) 生涯、徳川秀忠の隠し子として、徳川家を支えることに徹した保科正之の実直さが、幕末に裏目に出る。 しかし、あえて厳しいことを言うと、徳川慶喜の命が担保された時点で、松平容保が新政府に投降していれば、この悲劇は起きなかったのではないか? 松平容保の身柄を押さえさえすれば、長州も満足だったのではないだろうか。 結局、罪を一等減じられて松平容保自身は生き長らえたのだし。 戊辰戦争が終わっても、会津の悲劇はまだ続く。 生き残った者達の屈託。 薩摩藩へのリベンジのため、西南戦争で新政府軍に入る会津の生き残りも多かったのだという。 人の心は簡単に切り替えることはできないのだ。 白虎隊については、明治2年4月に発行された新聞で、すでに健闘を讃えられている。 賊軍ということになっているのに、これは異例なことではないだろうか。 ちなみにその新聞の名前は「天理可楽怖(テリガラフ)」 なかなか凝ったネーミングじゃないですか。
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