エジソンと電灯 の商品レビュー
科学道100冊の1冊。 「世界の伝記 科学のパイオニア」全10巻に含まれる。他には「スティーブンソンと蒸気機関車」、「ダーウィンと進化論」、「ノーベルと爆薬」など。科学者とその代表的な業績をタイトルとして、生涯を追う伝記。 こちらは発明王エジソンと電灯のお話。子供向けだがなかなか...
科学道100冊の1冊。 「世界の伝記 科学のパイオニア」全10巻に含まれる。他には「スティーブンソンと蒸気機関車」、「ダーウィンと進化論」、「ノーベルと爆薬」など。科学者とその代表的な業績をタイトルとして、生涯を追う伝記。 こちらは発明王エジソンと電灯のお話。子供向けだがなかなか読みごたえがある。 トーマス・エジソンは1847年、アメリカ・オハイオ州に生まれた。 子供の時はなかなかの問題児で、こだわりの強い性格だった。不思議と思うことは何でも尋ね、自分でいろいろ試してもみる。ガチョウが卵を抱いてひなをかえすと聞けば自分も卵の上にずっと座り続け、父親が「この子は頭がおかしいのではないか」と心配したというエピソードは象徴的である。 学校にはなじめずに数ヶ月でやめ、教師だった母に勉強を教わった。 エジソンは、苦しい家計を助けようと12歳から働き始める。おかしや新聞の売り子として列車に乗った。待ち時間を利用して図書館で化学や機械の本を読みふけった。勉強好きな一方で、もうけ話にも目敏かったエジソンは、農家から農作物を買っては都会で売りさばいたり、助手を雇って商売を広げたりした。 電信に特に興味があったエジソンは、やがて電信技師となる。幼いころに患った猩紅熱のせいで耳が不自由だったが、電信の音ははっきり聞こえたのも電信に魅かれた理由である。 腕は確かだった一方、技術的な問題の解決に没頭しすぎて、職務をおろそかにしてクビになることもたびたびだった。 彼はルーチンの仕事をこなすよりも、よりよい機械、よりよい装置を考えることに夢中だったのだ。やがて彼は発明に専念することになる。 エジソンは発明にあたって、専門家を集めて、同時にいくつものプロジェクトに取り組むようになった。 1人の天才だけではなく、多くの科学者・技術者が協力して問題を解決していく形を作ったのは、実はエジソンなのだという。 エジソンはニューヨークから少し離れた小さな村に新しい研究施設を建てた。元の村人より多いほどたくさんの技術者が集まり、村は「エジソン村」と呼ばれるようになる。エジソンの発明に特徴的だったのは、産業に直接結びつくもの、要は「売れる」ものを作ろうとしたことだった。 タイトルにもある「電灯」もその1つ。 当時、すでにガス産業が大都市の住宅や会社にガスを供給して多額の収益を上げていた。ガス灯の時代である。 エジソンは早いうちからこれの電気版を構想していた。中央の発電所から細かく枝分かれした線を伸ばして電気を運ぶ。家のどの部屋にも電球があり、運ばれてきた電気で明かりがつく。そのためには少しの電力で済む電灯が必要である。 そのころにあったアーク灯は、2本の炭素棒の間の放電を使用するものだった。室内で使うにはまぶしすぎ、ついている間は調節が必要で、明るさもすぐ弱くなってしまう欠点があった。 エジソンは電気で熱くなると明るい光を放つものを使おうと考えた。ガラス球の中で、こうしたフィラメントを熱して光を放つのだ。白熱灯である。 ではフィラメントとして適したものは何か。エジソンは6000以上の植物繊維を試し、日本の扇子から取った竹が最良であることを確かめる。 一方で、中央発電所から電気を分配するシステムの改良に取り組み、給電線と幹線のシステムの開発に成功した。 人間的にはかなりクセのある人物だったようで、他人の気持ちに無頓着な面もあった。冗談では済まない悪ふざけもしたし、ライバルを出し抜くためにずるいまねもしたことがある。家族も顧みず仕事に熱中する面もあった。 だが、ある意味、常識にとらわれないところが、彼の原動力の一因であったようにも思える。耳が不自由なことすらも、雑音が聞こえずに研究に没頭できるとプラスに捉えた。 成功への道は平坦ではなかった。借金も重ねたし、特許権をかすめ取られたこともある。だがやはり、「発明家」としての才能には抜きんでたものがあった。 とにかく驚かされるのはその豊かな発想と飽くなき探求心である。 まさに「ひらめき」と「努力」。 近現代を代表する巨人の1人だろう。
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