五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後 の商品レビュー
私は日本の近代史について何も知らない…と痛感させられた。 祖父や祖母、伯父や伯母達が辿った歴史はあまりにも身近すぎるためなのか、なかなか客観的に見ることが難しい。しかしそここそが大事なのだと、この本を読んで気付かされた。 日本が最後に行ったあの戦争とは一体何だったのか? 『意図...
私は日本の近代史について何も知らない…と痛感させられた。 祖父や祖母、伯父や伯母達が辿った歴史はあまりにも身近すぎるためなのか、なかなか客観的に見ることが難しい。しかしそここそが大事なのだと、この本を読んで気付かされた。 日本が最後に行ったあの戦争とは一体何だったのか? 『意図と結果を丁寧に辿っていかないと』 という言葉に胸を打たれつつ、手遅れにならない内に生身の歴史を1つでも多く聴いて知らなければと思った。 満州建国大学卒業生の方々の瞳が何処か遥か彼方を見据えているようで、とても…印象的でした。
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ルポの文章を魅力的に書く人がいるものだなぁと思う。 ラジオBook barで紹介されており読んでみる。最初は「戦時の暗い話か?」と少し読むのをためらうが、読み始めてみると、読みやすく、著者の文章力に引き込まれる感。他の本も読んでみたいと思った。 私も知らなかったが、幻の大学と言...
ルポの文章を魅力的に書く人がいるものだなぁと思う。 ラジオBook barで紹介されており読んでみる。最初は「戦時の暗い話か?」と少し読むのをためらうが、読み始めてみると、読みやすく、著者の文章力に引き込まれる感。他の本も読んでみたいと思った。 私も知らなかったが、幻の大学と言われる「満州建国大学」のルポルタージュ。 関東軍と満州国政府によって1938年に長春市に創設、「民族協和」を精神とし、日本人、朝鮮人、中国人、モンゴル人、白系ロシア人が共同生活し学問に励み、意見を交わしあった場所 「満州建国大学」 戦時、暗い話が多い中、未来を見ながらこんな事をしていた場所があるのだなあと感心。 【共感】 財産、時間を我が子の教育に多くを費やした元建国大学生の言葉「具体的な事を学びなさい」
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日中戦争の最中、日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの各民族から選抜され、約6年間、共同生活を送った若者たちがいたーー。そこは、満州国建国大学。満州国の国是である「五族協和」を目標にして、日本が独自に創設した初の「国際大学」であった。 建国大学の創設に一役買ったのは、満州事変を主導した石原莞爾だそうである。彼はこれを「満州の最高学府」にするのではなく、「アジアの最高学府」にすることを目論んでいた。就学期間6年、全寮制で授業料は全額官費で賄い無料。月5円の「手当て」まで支給する。そこには言論の自由があった。「五つに民族が共に手を取り合いながら、新しい国を作り上げ」るためには、異なる生活習慣や歴史意識の違いだけでなく、互いの内面下にある感情さえをも正しく理解する必要があるとして、すべての学生に言論の自由を、つまり日本政府を公然と批判する自由を認めていたのである。 このような破格の条件のために、日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアから優秀な学生たちが集まり、1938年春から1945年8月まで共に学んだ。その数は約1400人。 戦争の最中、国と国が、民族と民族が血で血を洗う戦いをしている最中にこのような教育が成立するのだろうか。戦後の卒業生たちの捉え方はまちまちで、『民族の垣根を越えて真の友情をはぐくめた』という卒業生もいれば、『共同生活によって得るものなどなかった』と否定する卒業生もいた。しかし、「異民族を直に理解するという機会があったということは当時、他では持つことのできない貴重な体験だったこと」は間違いない。 卒業生たちがいろいろな想いを込めて思い出すのは、毎晩のように開かれた「座談会」と呼ばれる討論会であった。互いが本気で議論をし、終いには殴り合いにもなった。でも、一夜明けたら夜の議論はすっかり忘れて、同じ釜の飯を食う仲間に戻れた、そう懐古する韓国人卒業生がいた。 ある日本人卒業生は、「議論に参加するには知識や論理構成力だけでなく、何よりも勇気が必要なんだ」と言う。しかもそれは「自分の考えを口にする勇気」ではなく、「自分が負けたことを受け入れる勇気」であると。「自分の意見が常に正しいなんてあり得ない。時に論破され、過ちを激しく責められる。発言者はその度に自らの非を認め、改めなければならないんだ。」 世界がグローバル化し、日本にいても様々な国の人々と交流しなければ生きていくことが困難な今の時代にこそ必要な言葉だと思う。 満州建国大学を卒業した日本人学生たちは皆優秀な人ばかりであったが、卒業後の人生は容易なものではなかった。満州建国大学卒業後「五族協和」のために力を尽くそうと希望に燃えていた彼らを待ち受けていた運命は、敗戦、シベリヤ抑留、帰国後の困窮。その境遇には、途轍も無い不条理を感じた。戦争のせいだと言ってしまうのはたやすいが、それでは片付かないものがあるように思う。最悪の状況でも最善を尽くして生きた人たちがいたことを記憶に留めたいと思う。
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安彦良和の「虹色のトロツキー」を読んで、建国大学の存在を知りました。 かつて満州国の最高学府として設立された同校では、五族協和を目指すべく、日本、満州、朝鮮、モンゴル、ロシアの学生が机を並べていたそう。驚くのは、学内では言論の自由が保障されていたということ! 夜になれば、それぞ...
安彦良和の「虹色のトロツキー」を読んで、建国大学の存在を知りました。 かつて満州国の最高学府として設立された同校では、五族協和を目指すべく、日本、満州、朝鮮、モンゴル、ロシアの学生が机を並べていたそう。驚くのは、学内では言論の自由が保障されていたということ! 夜になれば、それぞれの立場から熱い議論を交わし、取っ組み合いをし、それでも朝が来ればまた共に学ぶ、そんな環境だったといいます。 若きスーパーエリートとして満州国を導いていくはずだった彼等が、傀儡政権崩壊後にどのような運命を辿ったのか…… 新聞社の記者である筆者は、高齢の卒業生を訪ね歩き、彼等の人生を丹念に辿っていきます。 最近、わたしはあまりにも日本近代史について知らないことが多すぎると反省しています。つい数世代前のことなのに……
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開高健ノンフィクション賞受賞作 満州建国大学卒業生たちの戦後と表紙に書かれてある。 建国大学という「五族協和」をテーマに掲げた大学が、戦前の満州国にあったことを初めて知った。 建国大学の卒業生たち(多くは85歳以上)を訪ね歩いた新聞記者(著者)が、インタビュー形式でまとめた本...
開高健ノンフィクション賞受賞作 満州建国大学卒業生たちの戦後と表紙に書かれてある。 建国大学という「五族協和」をテーマに掲げた大学が、戦前の満州国にあったことを初めて知った。 建国大学の卒業生たち(多くは85歳以上)を訪ね歩いた新聞記者(著者)が、インタビュー形式でまとめた本。 近代日本史について、日本列島だけでなく、日本の統治下だった朝鮮や台湾、満州をひっくるめて考えなければ本当の歴史は見えてこないと本書に書かれていたが、その通りだと思った。
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旧満州で五族協和を目指して集った日中朝蒙露のエリートたちの壮絶な戦後を辿った本書、国家の在り様次第で左右される個人の思想言論の自由と、それに毅然と向かう卒業生の姿に唸る。
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http://blog.goo.ne.jp/abcde1944/e/374bfe1e27ce62c4c46abceb6f6e9449
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どんなに崇高な理念も、戦争の前では虚像化し、時には計略化する。建国大学も同じ。五族協和の実践場として設立されながら、その実態は矛盾と暴挙に満ちた満州国を操縦していくための「知的暴力機関」であったと言える。しかし、あえて言いたい。卒業生たちがそこで得た教養に嘘、偽りはなく、人として...
どんなに崇高な理念も、戦争の前では虚像化し、時には計略化する。建国大学も同じ。五族協和の実践場として設立されながら、その実態は矛盾と暴挙に満ちた満州国を操縦していくための「知的暴力機関」であったと言える。しかし、あえて言いたい。卒業生たちがそこで得た教養に嘘、偽りはなく、人としての真理そのものであったと。だからこそ、我々は彼らが辿ってきた戦後を正面から受け止め、彼らが築き上げた道や尊厳を守っていかなければならない。
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新聞の記事で「満州建国大学卒業者で、大学の悪口を言う人は1人もいなかった。」という文章を読んで、興味を持ちました。 「建国大学」は、日中戦争当時、日本が満州国に設立した、最高学府である。 日本政府が、その傀儡国家である、満州の将来の国家運営を担わせようと、日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの各、民族から選び抜かれた「スーパーエリート」が約6年間、異民族と共同生活を送るよう強制されていた。 「塾」と呼ばれる20数人単位の寮に振り分けられ、授業はもちろん、睡眠も運動も生活のすべてを異民族と実施するよう求められていた。 「建国大学」が他の大学と最も違うのは、戦前線中という特殊な時期に、モンゴル内で暮らしている、「五族協和」の為に、「言論の自由」が保障されていた事であった。 つまり、中国や朝鮮の学生達に、日本政府に対する激しい非難を認めていたのである。 そして、その毎晩行われる議論によって、民族の間に優劣等無いことがわかっていた、稀有な日本人になったのである。 しかし、超エリートの卒業生達は、その大学の特殊性の為に、卒業後自国で激しく迫害され、弾圧される。 高い学力と語学力を有しながらも、多くの学生が相応の職場につくことが出来なかったのである。 この本は、もう90歳を超えて時代を生き抜いてきた、卒業生たちを新聞記者が訪ね歩いたドキュメンタリーで、「第13回開高健ノンフィクション賞」受賞作である。 5か国の中でも中国の卒業生の生きざまはすさまじかった。 戦時中は抗日運動で、日本軍から拷問を受け、それも10人中9人が死亡する凄まじさ。そして、戦後は逆に共産党から迫害される。 それでも写真に写る笑顔は素晴らしかった。 何人かの切れ切れの記録であり、様々な事柄が多くて、読むのにすごく時間がかかった。 そして、感じたのはやっぱり戦争は誰も幸せにしないから、絶対してはならないという思いでした。
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NHKマイあさラジオ「著者に聞きたい本のツボ」を聞いて大変興味深い本だと感じてさっそく読んでみました。満州国新京に終戦までの8年間だけ存在した満州建国大学のお話。「五族協和」のスローガンを実践するために、日本人学生の定員は半分とし、中国・朝鮮・モンゴル・ロシア人学生が寮生活を送る...
NHKマイあさラジオ「著者に聞きたい本のツボ」を聞いて大変興味深い本だと感じてさっそく読んでみました。満州国新京に終戦までの8年間だけ存在した満州建国大学のお話。「五族協和」のスローガンを実践するために、日本人学生の定員は半分とし、中国・朝鮮・モンゴル・ロシア人学生が寮生活を送る。「言論の自由が確保」された特殊な空間でした。寝床が各国学生が交互に配置されていたことも徹底してるなと感じました。このテーマで研究をしているICUの宮沢恵理子先生の発言からも「国際教育という面から見れば、かなり成功している」と発言があるほど、学生同士は卒業後もそれぞれの国の戦後の事情を乗り越え親密な関係を築いていました。卒業生のその後を各国を旅して取材するものの、「アジアの最高学府」を目指して立ち上がった大学の卒業生にしては、日本帝国主義の協力者のレッテルを貼られる中で、そこで培った能力に見合ったその後を送って来たとは言い難く、苦しい個々の話が続く、あるいは中国国内では取材の機会さえ突然中断される出来事も起こる状況でした。学生時代を懐かしく記憶していることは記者へのリップサービスではないと思いたいのですが、あまりにも辛い体験をしてきた場合、思い出して語り出すお話がどこまで正直な気持ちであるか分かりかねるところもありました。そこは著者が書き留めている本人の表情や態度から推測するしかなかったです。
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