共和国か宗教か、それとも の商品レビュー
フランス社会と宗教の関係性について考える機会を与えてくれる一冊。空想的社会主義など革命以後の思想や文学を参照しながらその革新に迫ろうとする。構成的に纏まった感じがなく結論も定まらない読後感。カトリックが遠ざけられる中で如何にして社会的紐帯を取り戻すかという課題がフランス社会にはず...
フランス社会と宗教の関係性について考える機会を与えてくれる一冊。空想的社会主義など革命以後の思想や文学を参照しながらその革新に迫ろうとする。構成的に纏まった感じがなく結論も定まらない読後感。カトリックが遠ざけられる中で如何にして社会的紐帯を取り戻すかという課題がフランス社会にはずっと存在していることを意識できただけでも収穫だった。ライシテを始めフランス政治についてもう少し周辺知識を付けていきたい。
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シャルリ・エブド事件の後、ライシテと表現の自由がどこまで有効かが問題になった。日本では「表現の自由は大事だし、ライシテの重要性もまぁわかる。でも、少数派イスラームをあそこまでバカにするのは...」というような結論に落ち着いた。 この理解の前提にあるのはライシテの相対性である。そう...
シャルリ・エブド事件の後、ライシテと表現の自由がどこまで有効かが問題になった。日本では「表現の自由は大事だし、ライシテの重要性もまぁわかる。でも、少数派イスラームをあそこまでバカにするのは...」というような結論に落ち着いた。 この理解の前提にあるのはライシテの相対性である。そうした理解は、日本では憲法に政教分離を掲げつつ(靖国神社云々が偶に問題になるにしても)政教分離がそこまで問題にならないこととも関係するだろう。一方フランスでは「私はシャルリ」デモが起きるなど、ライシテや表現の自由の絶対性が強調された。相対性の立場からすればどこか違和感を抱きつつも、フランス人にそう言われるとフランス人自身の問題でもあるし、ツッコミ辛くなるのが人情である。 しかし、そこまでライシテは絶対的なものか。政治学から宗教学まで複数の論者によって編まれた本書を読むと、19世紀の歴史を通じて、ライシテをめぐる揺れやドライさが浮かび上がってくる。 特にその点を明らかにしているのが、片岡氏の19世紀前半を生きたシャトーブリアンをめぐる論文である。彼は初めキリスト教と自由を対置させていたが、のちに自由をキリスト教に含めて考えるようになった。そこに革命後ライシテ前という渾然とした状態を読み取る。 また、伊達氏は19世紀後半に活躍した政治家ジョレスが用いた「ライシテ」の文脈を検討し、排除ではなく包摂の論理を見出す。ジョレスはライシテの先に、お互い調和した「新しい信仰」の誕生を描いているという。現在の使われ方とは大きく異なる。 本書は序章が全体を読み易くまとめてくれており、かつ鼎談において論者が現在を踏まえながらわかり易く論文の中身を語ってくれているので、テーマのコアさの割には相当とっつき易くなっている。オススメ。
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