旧暦読本 改訂新版 の商品レビュー
地方暦と官暦のことを知りたくて購入。十二辰刻法と時の鐘の関係、旧盆という言い方と月遅れ盆、土用が四季にある理由……そういうことだったんだというネタがいっぱい。伊勢暦を買ってしまった。
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数年前に文庫本サイズの旧暦に基づいた72候(各24節気をさらに三等分したもの)が紹介されたものを購入し、それを勤務先の机の上に置いていて、時々眺めています。 現在私達は、正確な太陽暦を用いていますが、旧暦は太陽や月の運行をもとに、閏月を入れて調整しながら行っていたようで、そのカ...
数年前に文庫本サイズの旧暦に基づいた72候(各24節気をさらに三等分したもの)が紹介されたものを購入し、それを勤務先の机の上に置いていて、時々眺めています。 現在私達は、正確な太陽暦を用いていますが、旧暦は太陽や月の運行をもとに、閏月を入れて調整しながら行っていたようで、そのカラクリには興味があります。 この本では、様々な暦や、それにまつわるエピソードを取り上げてくれていて、今まで読んだ中では一番面白かったです。今後も暦に関する本に触れていきたいと思いました。 以下は気になったポイントです。 ・昔、中国では、閏月には王様は宮殿で休むことが叶わず、町中のどこかの門の下で休まなければならなかったというところから字ができた(p18) ・太陽太陰暦においては閏月は、19年7閏法ができた、正確なルールとして、「中気を含まない月を閏月とする」という考え方が出された(p22) ・明治5年11月9日、改暦の詔書を発布して、「来たる12月3日を以て、明治6年1月1日とし、太陽暦を実施する」と発表した。11月は29日の小の月だったので、それまで約1300年間にわたり使用されてきた太陰太陽暦からの猶予期間はわずか22日(p30) ・明治6年は閏6月があることになっていた、また12月3日が新年なので、2日しかない12月の月給は要らないだろう、ということで2か月分節約できた(p31) ・漢時代から約2000年に渡って、一年の始めは、いわゆる旧正月、つまり立春前後(雨水を含む月)であった(p36) ・貞享元年(1684)には、渋川晴海によって作られた、我が国最初の暦法が完成して採用された。宝暦、寛政、天保と三度改暦が行われた。これ以降は全国の暦の内容の統一が計られた(p37、53) ・天保暦以降は、定気法を採用したので、中気と中気の間が短い秋から冬には閏月が起きにくくなり、春から夏に起きやすくなった(p56) ・ローマの新暦は3月であったが、シーザーがそれを改めた。執政官の就任が暦年よりも2か月早い1月からあったため。おかげで、セプテンベル(第七の月の意味)は、9番目の月になってしまった(p122) ・シーザー、オクタビアヌスは、勝手に自ら「神の座」についた。ユリウス暦の1月から6月までの月名は神の名前、残りの4つは数詞(p122) ・ユリウス暦は1年を365.25日としたので、実際の1年よりも11分14秒長くなる。128年経過すると誤差が1日に達する。16世紀には、10日もずれていた。そこで1582年に、ローマ法王グレゴリオ13世が新しい暦を制定。10月4日の次を10月15日にして、1年の長さを365.2425日と定めた。(p123) ・これはプロテスタントでは受け入れられず、ドイツやスイスでは1700年まで、イギリス関連は、1751年までグレゴリオ暦を拒否していた。ギリシア正教の国は、20世紀まで使っていた(p123、124) ・月齢から旧暦日付を求める計算方法、月齢の小数部分が0から4までの時は、整数に1を加える。5以上のときには2を加える(p132) ・五行には仲の良いモノと悪いものがある、仲のよいほうを相生(木→火→土→金→水→木)悪いほうを相剋、がある(p177) ・江戸時代には、夜明けを「明け六つ」、日暮れを「暮れ六つ」と呼んだ。夏は昼の一辰刻が2時間よりかなり長い、四季に応じて長さが違う(p232) ・江戸っ子の一日が始まる明け六つの時刻は、夏至の日は、3時47分(7時36分日没)、冬至の日は、6時11分(5時8分日没)である(p235) ・昼夜の長さがほぼ12時間になるのは、2月15日(5時56分、17時55分)あたりと、10月28日(5時25分、17時24分日没)(p239) ・運勢上の循環は、節分でいったん打ち切られ、立春から新しくなる(p256) ・門松の飾りつけが12月30日の夜までとされるのは、31日に飾るのは一夜飾りといって嫌われていたから(p270) ・12月14日の赤穂浪士の討ち入りの日は、新暦では翌年の1月30日、旧暦の14日はほぼ満月の月明り(p284) 2015年12月31日作成
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