アウシュヴィッツの手紙 の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
フォトリーディング後、高速を交えて熟読。 郵便から地域の歴史的変遷を見るスタンスで、アウシュビッツについて語る面白い書。 アウシュビッツとポーランド、ナチスと周辺諸国の関係について知ることが出来た。また収容された人に郵便を家族に送る権利(義務・収容所がそう悪くないというプロパガンダ)があったことは意外な一面。外から来る小包も、ドイツ人は律儀に収容者に届けていたことも、ナチスとはいえドイツ人の生真面目さがうかがえて興味深かった。 星三つにしたのは、個人的に求めていたものが一つしか見つからなかったからで、他の人にはかなり面白いと思う。 以下に付箋を貼った箇所の要約を載せる: 29:1866年の普墺戦争(ドイツ統一の方式を巡る戦争)でオーストリアは敗北。それゆえプロシア主導で統一。オーストリアは排除。(これでドイツ語圏でドイツとオーストリアが両立し、オーストリアにドイツの皇帝とも言えるハプスブルグ家があったことの、個人的な長年の違和感が解決。) 35:ハプスブルグ帝国が崩壊したのは第一次大戦時、1918年のヴィットリオ・ヴェネトの戦いの敗北による。カール大帝は国内異人種の統治不能とみて、帝位を降りると表明。(日本の皇室と違い、世界の皇帝は支配階級の意識が強いのだなと、あっけなく素っ気ないその退位の理由から感じた。個人的感想。) 51:ニュールンベルグ裁判でゲーリングは、ナチスの収容所は英国のボーア戦争時の南アでの収容所を参考にしたと語る。 56:ナチスによるユダヤ人取り扱いの法律は1935年成立のニュールンベルグ法。(裁判のあった場所であることは興味深い。) 外国籍のユダヤ人には手は出せなかった。 58-59:1938年11月9日から10日の水晶の夜の経緯。パリ在住のドイツ外交官殺害の報復的、反ユダヤ主義の暴動。官製暴動。ドイツ各地で発生。 62:英国委任統治下であるパレスチナは、ユダヤ人の受け入れを制限。他国もナチス統治下のユダヤ人受け入れ拒否。行き場を失うユダヤ人。 72-73:米国の日本人強制収容について。日本人の規定は4人の祖父母のうちひとりでも日本人がいるもの。(奇しくもニュールンベルグ法の規定とおなじ)。 95:解放50年目に建てられたアウシュビッツにある記念碑には、その被害者数を150万人と記載されている。 151:アウシュビッツを解放した時には、戦後の冷戦がすでに始まっており、ソビエトの発表を誰も信じない背景があった。それ以東にあった収容所をソ連が解放。その惨状を伝えるも、ソ連の誇大なプロパガンダと西側が判断したゆえ。 しかしこれも、英国がベルゲン・ベルゼンの収容所を解放したことで、実情が伝わり様相が変わる。 176:ダニエル神父こと、ダニエル・オズワルド・ルフェイセン問題。ユダヤ人でカトリックに改宗、イスラエル再建後帰還するも、ユダヤ人とは当局に認められなかった。裁判をするも敗訴。当局はその後ユダヤ人の規定に「他宗教を信じる者を除外する」旨を付け加える。
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郵便学というのが面白い。 よく、これだけ貴重な当時のアウシュビッツやら収容所の写真、手紙を集めたものだ。
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アウシュビッツの歴史を郵便から見る。 収容所になる前のアウシュビッツ地方の歴史から、アウシュビッツ以外の収容所(政治的な、民族的な)の歴史的事実も、そこにいた人々と外にいた人々との郵便でのやり取りを通してまとめる。 ちょっと変わった視点からアウシュビッツを考える。
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