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アメリカにおけるデモクラシーについて の商品レビュー

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3件のお客様レビュー

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2024/01/28

トクヴィルの『De la démocratie en Amérique』は誰もが認める名著だが、あまりに大部なために近寄りがたくなっているとすれば惜しい限りだ。抄訳があってしかるべきと前から思っていたが、中央公論の「世界の名著」シリーズに入っていたことを迂闊にも見落していた。この...

トクヴィルの『De la démocratie en Amérique』は誰もが認める名著だが、あまりに大部なために近寄りがたくなっているとすれば惜しい限りだ。抄訳があってしかるべきと前から思っていたが、中央公論の「世界の名著」シリーズに入っていたことを迂闊にも見落していた。この度、新たに解説が付されて再び日の目を見たことを喜びたい。10年程前に岩波文庫から松本礼二氏の全訳が出たが、それ以前はこの「世界の名著」の抄訳の他には悪名高い井伊玄太郎訳しかなく、何度も投げ出したくなるのをこらえて四苦八苦しながら読んだものだ。松本訳も好訳だが、この岩永訳も日本語として実にこなれた素晴らしい訳だ。本書の核心とも言うべき民主主義が陥りがちな「多数の圧政」及びそれを緩和する制度的工夫を論じた第二部の7〜8章が選ばれているのも適切だ。 「多数の圧政」については、松本訳の該当巻『 アメリカのデモクラシー〈第1巻(下)〉 (岩波文庫) 』のレビューに書いたので割愛するが、それに劣らず興味深いのは民主主義と宗教の関係を論じた第9章だ。トクヴィルはフランスでは自由と宗教は敵対するが、アメリカでは両者は協力関係にあると言う。フランスでは宗教が世俗的な権力を持とうとしたために、それが抑圧に転化し、人々を反宗教に追いやったが、アメリカでは宗教が政治から距離を置き、魂の問題に専念したために、人々は安んじて宗教を受け入れている。宗教心なき民主主義は専制と結びつき易いというのがトクヴィルの持論だが、アメリカでは政教分離によって人々の自然な信仰心が守られ、それが結果として専制なき民主主義の維持に寄与しているというのだ。 一つ難を言えば、中公クラシックス全般に言えることだが、コスパが悪過ぎる。解説が差し替えられているとは言え、翻訳自体は40年以上前のものだ。本書も含め『世界の名著』シリーズは概ね好訳が揃っているので必ずしも改訳の必要はないが、それならもう少し価格を抑えることを考えて欲しい。本書の序文以外は全て松本訳の1巻(下)に含まれているが、人種問題を論じた捨てがたい第10章は本書では省かれている。にも関わらず価格は松本訳のほぼ1.5倍だ。敢えて本書を買おうという人がどれだけいるだろうか。

Posted byブクログ

2019/11/20
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

金銭の力が国事に影響し始める。交易は権力への途を開く新しい源泉であり、金融業者が一つの政治権力(をもつもの)となって、人はそれを蔑みもし、おもねりもする。少しずつ、啓蒙が広がる。文学、芸術に対する嗜好の目覚めが見られる。そして才幹が成功の一要因となり、学問が政治の一手段とされ、知能は社会的に力と見られるようになる。学のある人が政治の世界に出てくるようになるのである。 贅沢にあこがれ、戦いを好み、流行を追うなど、人間の最も浅薄な熱情も、また深遠な熱情も、ともども富めるものを貧しくし、貧しいものを富ませるために働いているかに見える。知能が力と富との源泉となって以来、知識の発展、新しい発見、新しい着想はすべて、人民の側の(利用しうる)力の萌芽と当然に考えられるに至った。詩想、雄弁、記憶力、優雅な精神、想像力、深い思索など、神がたまたま与えた資質がデモクラシー(の推進)に役立った。 デモクラシーの法律は一般に、最大多数の幸福を目指している。それは全市民の過半数の意図から出ており、この多数は誤ることはあっても、自分の利益に反することはありえないからである。アリストクラシーの法律は反対に少数者の手に富と権力を独占させる傾向がある。アリストクラシーは本来、常に少数の支配を形成するからである。そこで一般に、デモクラシーの目的は、その立法においてアリストクラシーより人類にとって有益であると言える。しかし、デモクラシーの長所はここまでである。 アリストクラシーは立法の知識においてははるかに長じており、デモクラシーのとうてい及ぶところではない。自律的であるからかりそめの誘惑に惑わず、長期の構想を持って、好機が到来するまでそれを熟させうる。また、進め方が賢い。同時に、一点に全ての法律の総合的な力を結集する術を心得ているのである。デモクラシーでは、そうはいかぬ。その法律にはほとんどの場合欠陥があり、時宣を失している。デモクラシーの手段はアリストクラシーにくらべて不完全である。しばしば自己の意に反して、不利に働く。ただ、その目的がより有益と言えるのである。 一見して明らかに、アメリカのデモクラシーにおいて民衆はしばしば権力を託する人物の選択を誤る。しかし、そのような人々の手で国家が繁栄する理由はそう簡単には述べられない。まず、民主国家において支配者は他に比して廉直さと能力に劣り、被支配者は他より開明されており、注意深いという点に注目しよう。デモクラシーにおいては、人民が絶えず公のことにかかわり、権利の擁護に汲々としているからその代表者に人民の利益に沿う一般的路線を踏み外さないようにさせる。 富める者のみが支配すると、貧しいものの利益は常に危険に晒される。貧者が法を作れば、富者の利益は不安定になる。なにが一体デモクラシーの長所なのか。デモクラシーの真の利点は全体の繁栄であると言われるが、実はそれは最大多数の福祉に奉仕する点にしかない。 合衆国において公のことを遂行する任にある人々は、しばしば才と徳とにおいてアリストクラシーが権力の座に据える者に劣る。しかし、この人々の利益は同胞市民の多数の利益と融合し、一致する。

Posted byブクログ

2017/10/04

久しぶりに読み直した。この時代確かにユグノーはすでにイエズス会に乗っ取られていたかもしれないと思う。一応悪口は出てはくるけど

Posted byブクログ