小泉今日子はなぜいつも旬なのか の商品レビュー
面白い視点でした。 この手の本は「難しく考えすぎやろ」 と思ってしまうことが多いのですが、 今回はそれは感じなかったです。 確かにキョンキョンは稀有な存在。 あんみつ姫、グリコや霧ヶ峰のCMなど、 ダントツで可愛いかったけど、 それだけじゃ説明できないですからね。 小泉さんの本も...
面白い視点でした。 この手の本は「難しく考えすぎやろ」 と思ってしまうことが多いのですが、 今回はそれは感じなかったです。 確かにキョンキョンは稀有な存在。 あんみつ姫、グリコや霧ヶ峰のCMなど、 ダントツで可愛いかったけど、 それだけじゃ説明できないですからね。 小泉さんの本も読んでみたくなりました。
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サブカルチャー批評としての観点からアイドル小泉今日子を論じた本ではありません。主として彼女と同世代かそれよりもすこし下の、バブル期を経たことで「ここではないどこか」を求めてしまう生き方を身に着けてしまった人びとに対して、つねに変わりつづけることで長い期間にわたってアイドル、女優と...
サブカルチャー批評としての観点からアイドル小泉今日子を論じた本ではありません。主として彼女と同世代かそれよりもすこし下の、バブル期を経たことで「ここではないどこか」を求めてしまう生き方を身に着けてしまった人びとに対して、つねに変わりつづけることで長い期間にわたってアイドル、女優として活動をおこなってきた小泉今日子の生き方から学べることはなにかを論じている本だというべき内容になっています。 アイドルとしての小泉今日子といえば、『なんてったってアイドル』で知られるような、アイドルそれ自身の虚構性をみずから暴露するようなメタ的な視点を示すことによって、日本のアイドル史における転換点ともいうべき位置を占めていると論じられることが多く、そういった観点からの考察を期待していたのですが、全体としてはあらかじめ期待していた内容とかなりのへだたりがあったように感じました。 とはいえ、斉藤由貴や中山美穂、あるいは宮沢りえといった、彼女と同時代のアイドルや女優たちとの比較もなされており、さらに『あまちゃん』における他の登場人物たちとの比較を通して小泉今日子の時代と現代のアイドルに求められているものについての考察など、興味深く読んだ箇所がいくつかあったことも事実です。ただ、小泉今日子を題材に、ある種の自己啓発本的な指針を得ようとするのは、やや奇矯な試みであるようにも感じました。
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小泉今日子を軸にした、80年代以降の女性の変遷を描いた作品。それが趣旨。しかし、小泉今日子の生き方と時々の流行の最先端にいた女性の生き方を対比したいる部分があり、人生論の色合いも実は濃い。僕は個人的には、小泉今日子的な生き方にあこがれる。本当に大切なことを手放すことで再生をする、...
小泉今日子を軸にした、80年代以降の女性の変遷を描いた作品。それが趣旨。しかし、小泉今日子の生き方と時々の流行の最先端にいた女性の生き方を対比したいる部分があり、人生論の色合いも実は濃い。僕は個人的には、小泉今日子的な生き方にあこがれる。本当に大切なことを手放すことで再生をする、ということの痛みを大事さを思いさせてくれます。これを読んでから別なキョンキョンの本を読むと違う視点が得られるかもしれません。
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トンがったアイドル時代を懐かしむ世代にも、 多才な女優の顔しか知らない世代にも、 愛され続ける キョンキョン♪ この本では、 当時のアイドル達と比較したり、 80年代〜現代までの女の子変遷史と共に、彼女の魅力を探っています。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
小泉今日子の「変わっていく力」に、人生のヒントを学ぶ。メタ認知、「何も誇るものを持たない裸の自分」を受け入れる、他人の意見に一度は従ってみる、などなど。全身黒塗りとか人拓なんてことやってたのは知らなかった。他のアイドルたちとの比較が面白かったかな。斉藤由貴や薬師丸ひろ子は「文学系アイドル」だったんだね。
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荻上チキのSession22に著者である助川さんが ゲストで出ていて 「小泉今日子はなぜいつも旬なのか」 という本を出したと語っているのを お風呂で聞き 翌日には本屋に飛んでいた。 私、小泉今日子さんの大ファンだから。 いや、もはやファンを超えて尊敬すらしている。 助川さんに...
荻上チキのSession22に著者である助川さんが ゲストで出ていて 「小泉今日子はなぜいつも旬なのか」 という本を出したと語っているのを お風呂で聞き 翌日には本屋に飛んでいた。 私、小泉今日子さんの大ファンだから。 いや、もはやファンを超えて尊敬すらしている。 助川さんに感謝。 よくぞ書いて下さいました。 さて この本は小泉今日子という そこらのアイドルとは比較にならない オンリーワンな存在の歴史をなぞることで 80年代から現在までの「女の子」の変遷を 非常にわかりやすく描き出している。 キョンキョンはなんてったってアイドルの自分を 客観的に俯瞰できる稀有の視点と 冷静にモノの本質を見極めることのできる 実に賢い人だ。 だが実際の彼女はシャイで控えめな人だ。 オンナ度が低い。 平たく言えば「女子力」が低い。 かといってオヤジでもない。 加齢に伴う臭みがまったくない。 なぜならば彼女は永遠に「女の子」だからだ。 「女の子」というと ブリブリ、フリフリ、キラキラな かわいこちゃん系をご想像する方が多いと思うが それはまったく違う。 ことさらに「女の子」らしさを強調する彼女たちは 「女の子」という着ぐるみを着た強者で 「女の子」と対極にある実に女性的な存在なのだ。 女性というのはそもそも図々しく逞しく欲深だ。 だが「女の子」はそういう人間になれない。 いつもどこかで損したり 何かに傷ついたりしていて それでも仕方ないと思っている。 「女の子」はゆらゆらと弱々しいものだから いつも心の奥に隠れている。 30〜40代のフェロモン過剰の日常においても 欲の臭いにあふれた外界を避けて ひっそりと大切にされている。 だからたとえおばあちゃんになっても 真の「女の子」は生き続けるのである。 小泉今日子さんは確実に かわいらしくチャーミングなおばあちゃんになる。 そんな魅力的な老境は 優雅に見えるだろうが決してそうではない。 キョンキョンも子供を持たなかったことを 悔いているようだが 女子力を駆使して夫を獲得し家族を築き そこに安住することができなかった結果の 「孤独」に耐えて 生きていかざるを得ないのである。 それでも永遠の「女の子」は 人の目には魅力的に映り続けるだろう。 もしかしたらそれは 不器用に一生懸命生きて来た ご褒美なのかもしれない。 と、わたくし流の小泉今日子&女の子論を ぶちあげてしまったのは 不肖わたくしもちっぽけな「女の子」を抱えたまま いまだにヘタクソに生きているからだ。 だからなおさらキョンキョンが好きなのかもしれない。
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アイドル時代から、あまちゃんまで、よく知ってはいるが、こんな感じだとは知らなかった。大学生の頃、アルバイトでテレビCMのエキストラの調達をしていたが、グリコのアーモンドチョコのCMで彼女がタレントだったことがある。1984年くらいかなあ。彼女よりちょっと(笑)年寄りだが、同じ年代...
アイドル時代から、あまちゃんまで、よく知ってはいるが、こんな感じだとは知らなかった。大学生の頃、アルバイトでテレビCMのエキストラの調達をしていたが、グリコのアーモンドチョコのCMで彼女がタレントだったことがある。1984年くらいかなあ。彼女よりちょっと(笑)年寄りだが、同じ年代を過ごしたとも言え、懐かしったりもする。良書。
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