科学の公的責任 の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
ドイツの教育哲学者であるテオドール・リットの講演をベースにした書籍。 タイトルを見て、手に取った。 科学の公的責任に関する提起はぜひとも知りたいところだ。 時代は少し前に遡り、第二次世界大戦あたりの話で、原子力研究者の科学的探求による成果が政治的利用により、かつてない被害を生み出したことに関する議論的な内容になっている。 前半はそれらの公的責任に関して言及しており、後半は講義における座談会的な内容なので、後半は割愛。 リットは 「科学の役割は何が存在しているかを語ること」だとしている。 また、科学は認識した対象の存在と本質を変化させることができず、ただ客観の立場を取るとしている。 そのため、科学の成果による破滅の責任の所在を科学の賜物の誤用を思いとどまらなかった人間の意志にあると主張した。 これら、自然科学の研究成果の政治的利用に関する話であるが、ここから人文社会学的な見解へと論を発展させる。 人間は主体と客体が同様である。 自己認識・自己省察によって固有の存在に光をあてる。 そのため、人間が真理への意志貫徹が難しいと見解を示す。 なぜなら、観察においては人間が見たいものを見えしまう。 また、自らの計画を説得力を持たせるように行動してしまうからだ。このことを建設的誤用と呼んだ。 フクシマの件が翻訳者のきっかけになったようだが、奇しくも現在サイエンスのコンテキストは工学・理数系に焦点が当たっている。 これはリットの時代で言えば、自然科学のブレイクスルーである。それを政治的利用をし、モラルハザードを起こすことで世界に破滅的なダメージを与えたのだから、人間学的な社会学的見地や研究がいま欲されている事実とどこか位相のようなものを感じてしまう。 歴史に学びたいものだ。
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