秀吉はいつ知ったか の商品レビュー
荒唐無稽な作品の礎には緻密な史実考察がやはりあったのだと山田風太郎のエッセイから読み取れる。"事実" と歴史という "記録者の主観" と考察する "筆者の持論"、そこに差異はあれど通底するものとして読者一人ひとりの真実が...
荒唐無稽な作品の礎には緻密な史実考察がやはりあったのだと山田風太郎のエッセイから読み取れる。"事実" と歴史という "記録者の主観" と考察する "筆者の持論"、そこに差異はあれど通底するものとして読者一人ひとりの真実が宿る。構築されていくのはマルチバースの世界だけではなく、日常に浸透する思考のグラデーションとなって時空間を駆け巡る。嘘か真か、その境界は曖昧であっていい。各人の感情の豊かさが大切なのだ。そこに分断はなく寛容さが求められる。
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深夜の散歩が趣味とか近況の話も面白いがやはり歴史人物の考察が鋭く読み応えあり。 国立料亭建白の発想とか独創性というかブラックユーモアが飛びぬけている。
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印象に残った文 「どうでしょう、新貨幣の名称を「誠意」としたら?」 「私にいわせると、恋愛さえも睾丸ないし卵巣の描き出す虚構である。」 「歴史は一つだ、というのは、真実は一つだ、という命題をスリ変えたものであって、「歴史」は人により、国民によって同じものが光となり影となるのはやむ...
印象に残った文 「どうでしょう、新貨幣の名称を「誠意」としたら?」 「私にいわせると、恋愛さえも睾丸ないし卵巣の描き出す虚構である。」 「歴史は一つだ、というのは、真実は一つだ、という命題をスリ変えたものであって、「歴史」は人により、国民によって同じものが光となり影となるのはやむを得ない。」 「あの時代に比叡山を焼き打ちするということは、今の創価学会をぶっつぶすよりも、もっとすさまじいことである。」 第5部の「安土城」は短篇小説。第4部の「天狗党始末」も短篇小説みたいなもん。 本の構成については編者解説に詳しい。
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1582年6月2日「京都 本能寺にて明智謀反。信長死す」の知らせは、1日半後、備中(岡山)にて毛利攻めの秀吉の元に届く。急使は京都ー岡山間230キロを36時間で踏破。整備されていない山野の道なき道を草鞋で時速6キロで駆け抜けたそうな⁈ さて秀吉は信長の死を知るや否や、交戦中の毛...
1582年6月2日「京都 本能寺にて明智謀反。信長死す」の知らせは、1日半後、備中(岡山)にて毛利攻めの秀吉の元に届く。急使は京都ー岡山間230キロを36時間で踏破。整備されていない山野の道なき道を草鞋で時速6キロで駆け抜けたそうな⁈ さて秀吉は信長の死を知るや否や、交戦中の毛利と即刻ケリをつけ、高松城の水攻めの堰を切って毛利側に足止めを喰らわせ、また信長の死を一切悟られることもなく、2万の大群を引き連れ姫路経由で京へ駆け上り、山崎で光秀を討ったのは本能寺の変から13日後。電光石火な見事な弔い合戦。 この「中国大返し」を、危機的状況における秀吉のズバ抜けた決断力と情報分析力がそうさせたという見る向きもあるが、著者は「あまりにも首尾よく行き過ぎてるぜ〜」と疑念を抱く。 そもそも「本能寺の変」自体が、秀吉の作・演出ではないのか?その成功の裏には綿密に張り巡らした策略と周到な準備があるにちがいないと推理を展開。 山田風太郎の説にならえば「秀吉は相当腹黒の輩で、光秀を巧妙に謀反に仕向け、信長が僅かの手勢で本能寺に入ったこともすべて秀吉のシナリオ通り。だからこそ即座に行動に移れた」のだと。 もちろん、文献や古文書をいくら漁ろうとも推理の域を越えるものはない。ただ「秀吉神話」のひとつとして見なすには、あまりにも話が出来すぎている。情報伝達・天候・交渉・兵站補給…どれかひとつでも欠けていれば、秀吉が天下人にはなれていなかったかもしれない。それだけに天まで見方に付けたのか…って思ってしまう。 私見を開陳。 いずれにせよ秀吉は信長暗殺に関与をしていたと見るのが妥当ではないかな。秀吉を指して語られる〈天真爛漫な性格・人たらし〉は、自身の欠点である容貌の悪さ・肉体の貧弱さ・知性の無さを補うための策であり、それが「人心掌握」につながり、一枚岩の家臣団を形成し城持ち大名となり得た。ただ、より高み-織田家臣団の中でいち早く抜きん出て天下人に目指す-には卓越した「インテリジェンス(情報収集のための諜報活動)」と「マキャベリスト」に徹するしかないという考えに至ったと見る。 そう考えると、この「中国大返し」は秀吉のインテリジェンスを帯びたマキャベリストの真骨頂とも言える。 本書は、表題以外に「安土城」という小説仕立ての随筆も収録。謀反に至るまでの光秀の心情を客観的事象を通して浮き彫りにした名著。 この他にも、薩長に立ち向かった幕臣 榎本武揚が処罰されず、明治新政府の高官となり得た裏にふたりの男の存在。黒田清隆と福沢諭吉。彼らの懸命なる助命を描いた〈その後の叛将・榎本武揚〉は興味深く読んだ。 また幕末の志士たちのイデオロギー〈攘夷〉の供給源となった水戸藩。その革命隊〈天狗党〉の凄絶な最期を描いた〈天狗党始末記〉…、幕末史に埋もれていた話も押さえられており、実に読み応えありありの随筆集。
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タイトルに偽りありというか、歴史に関するエッセイは少なめでしたね。 内容はいいんだけれど、ちょっともったいない感じ。 あと、最後の短編もここに入れるべきだったのかなぁ。 出版社はもう少し気を遣って編集する方がいいんじゃなかろうか。
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歴史をテーマにしたエッセイ集。 終の住処となった聖蹟桜ヶ丘での暮らしについて書かれた「Ⅰ 美しい町を」だが、掲載誌が異なるだけで内容が重複したものがいくつかあるのはご愛嬌。 印象に残ったのは「妖人明石元二郎」にあった、明治時代に「妖人」が多い理由。 徳川時代、国民は士農工商の鉄箱...
歴史をテーマにしたエッセイ集。 終の住処となった聖蹟桜ヶ丘での暮らしについて書かれた「Ⅰ 美しい町を」だが、掲載誌が異なるだけで内容が重複したものがいくつかあるのはご愛嬌。 印象に残ったのは「妖人明石元二郎」にあった、明治時代に「妖人」が多い理由。 徳川時代、国民は士農工商の鉄箱に入れられていたが、明治後半からは完備した教育制度でつじつまの合った人間ばかりを秀才として作り出したからとのこと。なるほど。
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山田風太郎さんの未刊行エッセイ集。 標題の「秀吉はいつ知ったか」は本能寺の変の前後の秀吉の動きを詳細に検討したもの。風太郎さんの指摘が確かなら、光秀の後ろにいたのは秀吉ということになりそう。そして、それ以外には考えられないような秀吉の動きの風太郎さんの検証が素晴らしい! うーん、...
山田風太郎さんの未刊行エッセイ集。 標題の「秀吉はいつ知ったか」は本能寺の変の前後の秀吉の動きを詳細に検討したもの。風太郎さんの指摘が確かなら、光秀の後ろにいたのは秀吉ということになりそう。そして、それ以外には考えられないような秀吉の動きの風太郎さんの検証が素晴らしい! うーん、そうだったのか!
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