二十世紀と格闘した先人たち の商品レビュー
図書館で何気なく手にとって一度は棚に戻しかけたが、やはり気になり借りた本。それだけにそれほど期待はしていなかったが、読んでみてグイグイ引き込まれた。クラーク博士から、ルーズベルやマッカーサーといった日本近代史に多大なる影響を与えた米国人から始まり、アジアからは周恩来や魯迅、リー・...
図書館で何気なく手にとって一度は棚に戻しかけたが、やはり気になり借りた本。それだけにそれほど期待はしていなかったが、読んでみてグイグイ引き込まれた。クラーク博士から、ルーズベルやマッカーサーといった日本近代史に多大なる影響を与えた米国人から始まり、アジアからは周恩来や魯迅、リー・クワンユー、ガンジー、などが取り上げられている。歴史の教科書では1,2行の記述で事実だけが教えられるが、そこに至った過程が本書の人物達が育った環境や生い立ちにも大きく関係している事が度々指摘されている。 印象に残ったのは、TimeやLife誌を創刊したヘンリー・ルース。20世紀初頭に上海で生まれたアメリカ人で、生まれ故郷が日本に蹂躙される姿は苦い目で見ていた事は想像に固くない。大戦前のアメリカで日本悪玉論がメディアで展開され、参戦への世論形成に大きな影響を及ぼしたという。歴史にifは無いと言われるが、著者は本書であえてそれを語る場面が見られる。ルースの件では、もし彼が日本生まれであればアメリカの世論も別になった可能性があると指摘している。 また魯迅の話も印象的だった。ここでは「馬々虎々」(マーマーフーフーと読む)という言葉が紹介されており、初めて耳にするものだ。その意味するところは、日本語の「長いものに巻かれる」と似ており、何事も受け身で情勢を受け入れる「欺瞞を含む人間的ないい加減さ」というべき中国人の生き方である。当初医者を志して日本の仙台医学専門学校に留学していたが、「幻燈事件」によって医学の無力さ知り「馬々虎々」に流される中国人達を還るには文筆家になるしかないと決心することとなる。仙台で魯迅を指導した教員について書かれた「藤野先生」という作品に本件が描かれているという。いつか読んでみたい。 日本が幕末に列強からの植民地支配の脅威を打ち砕き、日露戦争で白人国家を打ち負かした姿はアジア人に大きな勇気を与えたはずである。本書では孫文やチャンドラ・ボーズ、周恩来が取り上げられているが、自分たちの祖国が列強から蹂躙されている状況を変えられる事を願い、日本からの支援を期待していた。しかし、日本は列強の一員に加わる事を選び、同じことをアジアの同胞にやってしまった。そして国民も日本が名誉白人のような立場になった事を喜んだ。アジアのリーダー達の失望の様は、本書でも随所に描かれている。リー・クアンユーは英国に代わって日本が君臨統治し始めて支配の時代の方がまだマシだった、同じアジア人として日本に幻滅した書いている。 20世紀は帝国主義による植民地獲得競争の時代から、国民主権、国民国家に移行した世紀でもあった。著者はここでもifを提起する。日本がそうした趨勢の流れを世界で主導し、リーダーになりえる立場にいたにも関わらず、その道を選ばずに遅れて帝国主義の最後尾に追随してしまったことを嘆いている。 本書のテーマとも言うべきものは、著者が考える20世紀の初頭から大戦に至るまでの過程において日本がなぜ進路を間違えたのか、更には間違わない道を選択するチャンスは幾度となくあったと思われる事、そしてそうはならなかった事への厳しい指摘であろう。 だが一方で、当時の世界情勢は帝国主義や植民地支配は正当化されており、最後の巨大なフロンティアと目されていた中国はまだまだ搾取の初期段階であったことを考えれば、世界のどれだけのリーダー達がそれを諦められたのかは疑問である。当時の国民感情は、世界最大の覇権国であったイギリスと日英同盟を締結して世界の列強に名を連ねた事に大喜びをし、日露戦争での勝利に熱狂、自国が列強の1つであることへの自尊心がピークに達していた時代である。日本だけが正義感を燃やして分け前えを放棄してアジアの側に立つことは、当時の状況では取り得ない選択肢だったと思える。現代から振り返れば、本書でも取り上げられている新渡戸稲造が海外に発信した武士道といった日本人らしい価値観によって、一見それらは可能であったようにも見れるが、やはり我々の国民性、長いものに巻かれる気質や欧米に対する劣等感、弱いものを見下す気質などを考えればやはり必然であったと思うより他ない。我々が出来ることは歴史から学び事であり、未来を作っていく事である事を改めて強く思い出させてくれる。
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