禅思想史講義 の商品レビュー
「禅宗の思想史の流れを「ざっくり」と」 入門者向けの解説 それでも難しいけど、ここまでまとめるのは凄い! 勉強する手掛かりとさせて頂きます。
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禅の体系をわかりやすく説明しながら、現代へとつなげる良書。禅の本来性をとらえ、生身の現実態と結びつけるにはどうすればよいか? ということが、歴史を追ってかなり重点を絞ってまとめられている。 ある程度の基礎知識がないと、それでも内容は入りにくいかもしれない。でも、禅をもっと知って...
禅の体系をわかりやすく説明しながら、現代へとつなげる良書。禅の本来性をとらえ、生身の現実態と結びつけるにはどうすればよいか? ということが、歴史を追ってかなり重点を絞ってまとめられている。 ある程度の基礎知識がないと、それでも内容は入りにくいかもしれない。でも、禅をもっと知ってみたいと思った初級者にはとてもオススメ。 禅の考え方も、時代によって変遷しているのだなぁということがよくわかったし、公案をひとつひとつわかりやすく解説してくれているのがありがたかった。公案そのものを読み解こうとしても、一人ではとても歯が立たないので……。 思うのは、いわゆる禅の「悟り」の体験はまさに日常からの超越的な代物で、それを体得できるのは本当に限られた人間のみなんだなぁ、ということだ。 万人が万人、禅の教えをきちんと体得できるかというと、たぶんそうではないのだろうと私は思う。 禅はそんな易しい(優しい)ものではないのだと思う……。むしろ、その教えを「日常に生かす」とか、「自己と向き合う」とか、そういう風に言われることを拒絶しているのが禅なのではないかなぁ、と思った。
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雨の日、いつの間にか片手で傘を差し、もう一方の手で本を読んでいた事に気づいたその瞬間、忽然と「手は手にあらず、故に手なり」ということを了知した。あらゆるものにその理が当てはまるという直感故に、世界が膨大な自由と無尽の可能性を内包し、離合集散の中で生滅しているという現事実と、その一...
雨の日、いつの間にか片手で傘を差し、もう一方の手で本を読んでいた事に気づいたその瞬間、忽然と「手は手にあらず、故に手なり」ということを了知した。あらゆるものにその理が当てはまるという直感故に、世界が膨大な自由と無尽の可能性を内包し、離合集散の中で生滅しているという現事実と、その一部でありそれを体現する一見本である自己がだしぬけに剥き出しにされ、ただ圧倒された。涙さえ滲んだ。 「空」と「隻手音声」に参じたことも、その無中にあった体験も、そこからの工夫も、ずっと一人だった。 ただ、これが鈴木大拙の「AはAにあらず故にAなり」という即非の論理と一致するかは検証の機会を得ていないが、彼や西田幾多郎に至るまでの禅自体の変遷を俯瞰できたことは、そのまま自らの内部に起こったことに置き換えられもした。無師故に胸を撫で下ろすような安堵を感じながら、禅という型への信頼と、更なる自己の探求への動機を得ることができた。 分別を押さえ込みながら、同時にどれだけ現在把握している限りでの剥き出しの自己を分別の実生活に発揮できるか、そのぎりぎり緩まない身体性に根ざした自己の発揮を、最近試みていた。 その時にはたらいている自己とは何なのか、どのような自己が行為に即して生じているのか、いないのか。ただ自己肯定するのではなく、四六時中、この問題に身心で参ずることに取り組んでいた。 この本を読んで、今目の前にある工夫のプロセスを踏んで先がまだありそうだと、伸びしろが増えたような気がして、晴れやかな気持ちで読了した。
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