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中世前期の政治構造と王家 の商品レビュー

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2015/06/09

中世初頭における「王家」の成立と政治史としての流れを有機的に関連付けることで、院政の政治的な本質を構造的に解明しようとする力作で、論旨が明快かつシャープで無理な論理展開があまりないので、自分にもとてもわかりやすく納得のいく論文集であった。 近年の「王家」成立についての研究成果は著...

中世初頭における「王家」の成立と政治史としての流れを有機的に関連付けることで、院政の政治的な本質を構造的に解明しようとする力作で、論旨が明快かつシャープで無理な論理展開があまりないので、自分にもとてもわかりやすく納得のいく論文集であった。 近年の「王家」成立についての研究成果は著しいものがあるが、女性史や制度史の観点に留まり過ぎているきらいがあって、自分はもどかしく感じていたのだが、そうした課題にもきっちり応えているところも好感が持てる。 第一部は、「王家」の用語規定が主であり、家長とその「王家」の範囲、そしてその皇統を定義づけた内容が主であり、入道親王と法親王に関する論文も「王家」の範囲としての新たな射程を論じたものになっている。しかし、「王家」の範囲と皇統に関してはそれほど新味なわけではなく、また、入道親王と法親王についても研究から取り残された観のある女院以外の「王家」との関わりを「追加」したものに過ぎない印象もあるのだが、個人的には土御門院の子にして後嵯峨院をサポートしたとする仁助法親王の存在と役割は興味深かった。 本書の中心は第二部に関する諸論考になる。院政の主体である「王家」の皇統の思惑が次々と当てが外れ、それが次なる政治と政治構造の転換を余儀なくされるというダイナミックに統合された論述が魅力的で面白かった。 鳥羽は近衛、そして二条を、二条は六条をなど、その時点で家長(=院)が定めた皇統路線に従って、膨大に集積された女院領(=経済基盤)は、養子関係を通じて必ず皇統のメインとその家族が受け取れるような仕掛けが施されていたのだが、その思い描かれた皇統は早世や院政期ならではの成人による退位(=権力保持が目的)などにより、ほとんどが無に帰し、新たな皇統を時々で再設定せざるを得なかった。こうしたやむを得ざる既定路線変更が政治史に及ぼした影響は大きく、また結果として八条院領など膨大な荘園群は統合されることなく、皇統から外れた「家」へと伝領されていく事態が発生してしまったという。そして、制度的院政が確立したとされる後嵯峨院政期までそれは続いたとするが、両統迭立状態となるに及び、それらはそれぞれの皇統の経済基盤として伝領されることになったという。自分としては膨大な荘園群を持つ女院領がなぜ権力の分掌という状態を引き起こさず、また家長である院もそれを許したのか疑問であったが、本書によると、やはり家長は皇統をメインとして捉え、一旦、「王家」家族の経済基盤を保証はするものの、最後には張り巡らされた養子関係により皇統とその家族に伝達される仕掛となっていて、統合されることが無かったのは結果としてその契機が失われ続けてきたからだという説には納得ができた。ただ、鳥羽亡き後であっても美福門院が健在とはいえ、後白河院政が二条親政へと既定路線として引き継がれる論理として、著者は貴族層一般の了解事項であったからとし、あるいは既得権益を守る勢力によるともしているが、この辺りはもう少し説明の欲しいところである。 皇統から外れた子は親王や内親王宣下などもされず、ただの人として立ちゆかざるを得ない場合もあり、皇胤といえどもシビアなものであるが、逆に荘園本家となる場合は内親王や女院という権威付けが必要ということであり、家長の皇統を継続させる意志には並々ないものがあるとあらためて感じる。皇統に関与するには外戚としてのアクセス回路が必要ということだが、外戚にと思い定める政治判断にも家長の冷徹さが読み取れ、これも政治史としての大きなうねりを感じさせるものである。 本書は論述に従って掲示されている系統図が必須でなかなか重宝したが(笑)、あと、時系列的な史料整理もそれぞれに興味深いものがあって、特に『山槐記』の奏事の記述より再現した最初の後白河院政期と二条親政期における政治判断の実相はとても面白かった。 著者の論理は統合的でわかりやすく明快なので、次回作にも期待する。

Posted byブクログ