丸山眞男「古層論」の射程 の商品レビュー
丸山眞男の「古層論」をめぐって、網野善彦や石母田正をはじめとするさまざまな思想史家、歴史家、民俗学者らの思想と比較しつつ、その意義を考察している本です。 本書は二部構成となっていますが、比較的短い第一部では、丸山の古層論を網野史学と比較し、その共通点をさぐる試みがなされています...
丸山眞男の「古層論」をめぐって、網野善彦や石母田正をはじめとするさまざまな思想史家、歴史家、民俗学者らの思想と比較しつつ、その意義を考察している本です。 本書は二部構成となっていますが、比較的短い第一部では、丸山の古層論を網野史学と比較し、その共通点をさぐる試みがなされています。著者は、網野の義理の甥である中沢新一が網野についての思い出を語った『僕の叔父さん 網野善彦』(2004年、集英社新書)や、網野の飛礫にかんする議論などを参照しつつ、網野史学における「未開の野生」に通じるモティーフを、丸山の「古層論」のうちに見いだそうとしています。 一見したところ、こうした丸山と網野の共通のモティーフをさぐる著者のもくろみは突飛なもののように思えますが、第二部で著者は丸山の「古層論」の詳細な検討を通じて、上のようなとらえかたを論証していきます。著者は、和辻哲郎や相良亨、湯浅泰雄といった思想史家や、民俗学者の荒木博之らの「清明心」にかんする議論と、丸山のそれとの比較をおこなっています。著者によれば、とりわけ和辻において「清明心の道徳」が心情の純粋性と共同体的功利主義をともに満たすものとしてとらえられていたことを指摘し、他方丸山の「古層論」における「キヨキココロ・アカキココロ」が、共同体的功利主義からの解放の契機をうちに含んでいると論じています。これが、網野史学における「未開の野生」の人類学的普遍性に通じるというのが、著者の「古層論」解釈の根幹をかたちづくっています。 さらに著者は、丸山の「古層論」が、中国を中心とする東アジアの国際的秩序のなかで受容された外来思想に日本的修飾を施すものとして理解されていたことを指摘したうえで、神野志隆光による『古事記』と『日本書紀』のコスモロジーの差異にかんする議論を参照し、丸山の立場からとくにスサノヲにかんする『古事記』と『日本書紀』の叙述のちがいを解き明かす試みをおこなっています。
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