社会を越える社会学 改装版 の商品レビュー
英国人の著者ジョン・アーリさんは、現在の社会学領域ではひとりの大物として確かな地位をもっているらしい。 さて初めてアーリさんの著書を読み始めてみると、フランス等の現代思想の影響を色濃く漂わせ、特にドゥルーズあたりに触発されたような、かなりポストモダン的な文章であることに気づく。こ...
英国人の著者ジョン・アーリさんは、現在の社会学領域ではひとりの大物として確かな地位をもっているらしい。 さて初めてアーリさんの著書を読み始めてみると、フランス等の現代思想の影響を色濃く漂わせ、特にドゥルーズあたりに触発されたような、かなりポストモダン的な文章であることに気づく。これは社会学なのか、それとも現代思想なのか? いや、結局のところ、アーリ氏の狙いは新しい社会学の視座を獲得しようという試みである。 それにしても、他人の著作からの引用や、それへの言及が非常に多く、まるで山口昌男さんの本を思わせる。ブッキッシュな知の花火が騒々しく打ち上げられ、こちらからあちらへと、絶えず視線を移動させられる。本文の6割くらいは、著者自身の思考ではないと言ってもよいかもしれない。山口昌男氏の本がそうであるように、この本は知的刺激に満ち満ちてはいるものの、結局どこからどこまでが「著者自身の思考」なのか判然としない。そのため読後の印象は、著者自身の言葉として残るものは多くない。 概要をまとめてみると、ジョン・アーリ氏によれば、近代的な社会学は、「社会」概念そのものがこんにちでは何を指すのか揺らぎ、学問的な危機の状況にある。 現在の社会は、自動車から移民、インターネットでの「情報」の瞬時の伝達など、<移動>というキーワードによって、従来とは異なる様相を呈しているのだ。アーリは、「メタファー」「旅行」「時間」といった、現代思想的なテーマに沿いながら、そうした状況を浮き彫りにしようとする。 もちろん、現在的状況でとりわけ興味深いのは、多国籍にまたがるようなグローバル企業の展開である。そのグローバリズムは、あたかも「国家」社会の原理と対立しているかに見える。けれどもアーリは、そうした単純化された二項対立は避け、国家と、企業のグローバリズムとが互いに依存し作用し合う状況を強調している。彼の思考モデルは、複雑系を参照しているのだ。 本書は、「グローバルな市民社会」の到来を予期し、これに期待することで終わっている。アーリが導き出そうとしたのは「移動の社会学」だ。 しかしそれがいったいどのように結実するのかは、まだよくわからない。本書はひとつのマニフェストのようなものであろう。具体的な、個々の詳細な議論はこの後に始まるはずなのだ。 ただし私には、「移動の社会学」がどこに向かうのかはよくわからなかった。現在の社会がどのように変容していくのか、特に相変わらず島国根性に閉じこもった日本人には、どうしても見えにくい問題なのかもしれない。そうは言っても、TPPのような、国内産業を良くも悪くも(たぶん悪い比率のほうが高そうな気がするが)急激に改革・破壊するような「政治」に巻き込まれ、日本もまた、グローバリズムの危うい展開の荒海に漂流することになるだろう。 この社会はどのように変容するのか?
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