石谷家文書 の商品レビュー
本書によれば、石谷家文書は、岡山県の実業家林原一郎氏が戦後昭和20年頃から昭和36年ごろまでに交流のあった人物から入手したとみられる個人コレクションの一つとして、林原美術館に収蔵されていたのだそうだ。重要性が認識されたのが企画展の調査中というのも興味深い。 石谷家は、土岐氏の一族...
本書によれば、石谷家文書は、岡山県の実業家林原一郎氏が戦後昭和20年頃から昭和36年ごろまでに交流のあった人物から入手したとみられる個人コレクションの一つとして、林原美術館に収蔵されていたのだそうだ。重要性が認識されたのが企画展の調査中というのも興味深い。 石谷家は、土岐氏の一族で足利義満の頃から将軍の奉公衆となったとみられる。 春日局の父斎藤利三は明智光秀に仕えたことで知られる。その兄である頼辰はこの石谷家に養子となり、養父光政とともに足利義輝に将軍奉公衆として仕え、弟の伝手で一時明智光秀に仕えたりしていたようである。また、石谷光政の娘が長宗我部元親と結婚していたため、元親とも縁が深かった。明智光秀と弟斎藤利三没後に、頼辰も元親のもとに身を寄せており、元親が秀吉に従ったのちに命じられた島津との合戦中に亡くなったとされる。 文書は、石谷家ではないがどこかの大名家(斎藤家の可能性が高い)がその来歴や由緒が記された記録として大切に保管されていたとみられるようだ。 400年の時を経て、人目に触れることになったのかと思う。 現在の私たちにとっては、近衛前久が本能寺の変直後に元親にあてた書状が興味を引く。 図版で見られる書状は非常に美しい筆致で、内容だけでなく見応えがありそうだ。 ほかにも奉書や奉行人連署奉書など、色々な形式の書状や、豊富な解説コラムなどが盛り沢山で何度読んでも面白い。 コロナで公共図書館も閉館してしまった時期に仕方なく購入したが、結果としては非常に良いお買い物だった。
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将軍義輝が存命中、信長がまだ美濃制圧前の永禄六年、美濃の土岐一族で幕府奉公衆であった石谷光政の娘を、土佐一国の統一前であった長宗我部元親が嫁にします。光政の養子になったのが光秀の有力家臣となる斎藤利三の実兄の石谷頼辰で、この縁で光政(空燃)・利三・頼辰は信長と元親の取次等で『石谷...
将軍義輝が存命中、信長がまだ美濃制圧前の永禄六年、美濃の土岐一族で幕府奉公衆であった石谷光政の娘を、土佐一国の統一前であった長宗我部元親が嫁にします。光政の養子になったのが光秀の有力家臣となる斎藤利三の実兄の石谷頼辰で、この縁で光政(空燃)・利三・頼辰は信長と元親の取次等で『石谷家文書』に登場します。本書は最近の光秀関連本(本能寺の変『四国説』)には必ず参考文献とされていますが、幸いなことに分かりやすい解説や興味深いコラムによって、歴史好きな一般人にもとりつきやすい内容です。中でも元々土佐には土岐石谷家と同族である『石谷家』が長宗我部に降伏後、神官として厚遇されていたということが分かったのは発見でした。また本書で冷静な戦略家であったであろう元親に対する興味も増して来ました。 司馬遼太郎は小説『夏草の賦』で元親の一代記(面白さは抜群!)をまとめていますが、生前に本書が発表されていれば少し違った感じになったでしょうか?
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