続・我が志アフリカにあり の商品レビュー
世の中にこんな生き方をしている人がいる、しかも日本人で、ということに改めて驚きを受けた。現地に根差して活動しているから経験した話しが沢山あり、勉強になるし、こんな経験してみたいと感じた。 都市生活と第一次産業を分離しないアフリカの人々の柔軟な思考は、海の恵み、森の恵み、大地の...
世の中にこんな生き方をしている人がいる、しかも日本人で、ということに改めて驚きを受けた。現地に根差して活動しているから経験した話しが沢山あり、勉強になるし、こんな経験してみたいと感じた。 都市生活と第一次産業を分離しないアフリカの人々の柔軟な思考は、海の恵み、森の恵み、大地の恵みに感謝するところから始まっている。それらは決して自分達の力ではなく、天からの恩恵、だから独り占めするものではないし、してはいけないものと考えている。天から与えられたものを人々と分かち合って、助け合って、今日を生きること。それがアフリカの人々の根っからの明るさと生きる源に通じているのだと思う。 革命とは、社会の矛盾、不正を見据え、今の時代に自分は社会のために何ができるかを問うた答え、つまり志という言葉につながる。 革命家とは、民衆の心を興しながら社会の不正を正し、より良き社会を具体的な方法を通じて目指していく人々 革命家が民衆の心を興す過程で成すことは、今の社会に生まれてきたことの意義を人々に問いかけ、自分は一体この世の中で社会に対して何が出来るかを具体的に考えていくという気持ちを持たせること。 かくめいじ号は俺たち全員の船だ。俺たちの船は、自分のためだけではなく、家族のために、家族だけではなく、近所の人達のために、そして地域のため、村のため、そしてザンジバルのためになるような船にしていこう。 死は天の計らいで誰も止めることは出来ない。中でも親の死は本当に辛いけれど、みんなが通る道で、親が亡くなって初めて人は大人になれるんだよ 貧しいペンバ島出身のアリは、人は助け合いで生きていることを知っている アフリカで働く場を作り雇用を生むこと。そしていつかは彼ら自身で仕事を回していけるようにしていくこと。 本当に貧しい家庭は誰かが助けなくちゃいけないからね 世界のどこに行っても同じルールだし、人種は不利でも有利でもない。皆等しい。厳しい練習を通して忍耐力を養う。結果はすべて自分の責任。強い精神力と責任感を持ち、誰とどこでやっても胸を張ってプレイしろ。 チームは一つの家族のようなもの。弟子同士は兄弟だ。自分だけ強くなっても他の兄弟弟子が弱ければチームの向上にはつながらない。自分だけのことではなく、兄弟は弟の面倒を見てやれ。弟弟子はたとえ兄弟子より強くなっても人間としての尊敬を忘れるな。皆自分が習ったことを、次の奴らに教えてやれ。 それは生活の中でも同じだ。個人個人が自分だけの幸福を追っていては、家族も村も町も国も発展しない。皆で助け合い、教えあい、共に向上していこうという気持ちが国の発展に繋がるんだ どんな仕事も、その仕事に適した人がやるものだ。報酬というのは、本物の仕事をした者だけに与えられるもの。 ザンジバルの人々は、人は一人では生きられないことをよく知っている。そして、生きていられることへの感謝を忘れない。 手紙には、会うことの半分の価値がある 山と山は出逢わないが、人と人は出逢う 志とは、自分は何をするためにこの世に生まれてきたのか、世の中のために一体何ができるのかという、自分への問いかけに対する答えだよ 天下の広に居り、天下の正位に立ち、天下の大道をおこない、志を得れば民と之に由り、志を得ざれば独りその道をおこない、富貴も淫す能わず、威武も屈く能わざる、此れをこれ大丈夫と謂う 私達をこの世に使わせた大きな力、天の下にあるこの現世の、自分の役割がある場所に、しっかり腰を据えて居を構え、正しい方向性を見極め、その道に沿ってことを行う。志を同じくする人がいれば、一緒にその道を歩めばよし。志を同じくする人がいないときは、独りでいけばよい。貧しさにも欲にも負けず、威光や武力の圧力にも負けず、志に沿ってしっかり歩める人、これが大丈夫 自分を磨け、魂を磨け 人間の重みだけで生きていけ
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タンザニアのザンジバルで25年。真のアフリカ独立・自立をめざして疾走し続ける『革命児』島岡強氏の持つ思想とその実践を描く第2弾です。島岡氏が現地に蒔いた『志』の種が確実に芽吹いている事を知らされます。 「タンザニアに『革命児』あり」 タンザニアはザンジバルで漁業や運送業などの...
タンザニアのザンジバルで25年。真のアフリカ独立・自立をめざして疾走し続ける『革命児』島岡強氏の持つ思想とその実践を描く第2弾です。島岡氏が現地に蒔いた『志』の種が確実に芽吹いている事を知らされます。 「タンザニアに『革命児』あり」 タンザニアはザンジバルで漁業や運送業などの数々の事業を興し、現地の人々に雇用の機会を与え、また、柔道の指導・普及によって多くの弟子を育て、今度はその弟子が自らの道場を持って行進を育てていく…。そんな男のことを現地の人間達は畏怖と尊敬の念をこめて彼を『カクメイジ』と呼ぶ…。 そんな規格外の男である島岡強氏に長年連れ添ってきた島岡由美子夫人による手記『我が志アフリカにあり』の続編とも言うべき内容で、1998年以降の島岡夫妻並びに、タンザニアを中心としたアフリカ諸国の情勢や、周辺の人々との出来事を綴ったものであります。 僕にいまひとつの経済力と行動力があったとするならば、市内の高校や大学全てに『我が志―』とあわせて本書を寄付してまわりたいところであります。しかし、そううまくいかないのが現実でございまして…。その代わりといっては何ですが、こうして本書についての感想を綴っているのであります。 アフリカの世界に今でも残っている植民地についての『負のイメージ』を象徴するコーヒー、紅茶、香辛料についても記されていたり、タンザニア・ザンジバル人の持つ労働観、働く人は猛烈に働き、働かない人は全く働かない。しかし、様々な要因があって生きていくことができるという現実。更には名作「赤毛のアン」の中に織り込まれている「差別」があることが記され、とてもビックリしたことを覚えております。 さらに、島岡氏が最初に始めた事業である漁業も、段々とやる人が少なくなり、現在では島岡氏が一番の古株になってしまったということや、食堂の玉葱切りから、出世して船のキャプテンを任せられるようになったヒジャという男の話。その一方で漁師たちの胃袋を満たす、「ゲンゲニ」と呼ばれる安食堂で働く女性達の事情や、運送部門で働くトラック野郎。アリの話や、ザンジバルでは当たり前といわれている停電や断水の話も実に興味深いものがありました。 事業と並行して行われてきた柔道の指導も、二転三転あり、ザンジバル武道館を建設する際に、工事を請け負った業者がトンズラをかまし、最終的に工事の残りは島岡氏自ら現場監督となり、柔道の弟子を総動員して建てたとか。国際試合にザンジバル柔道が臨んだ際、イギリスへと連れて行った弟子が逃亡して、行方不明になったときにはさすがの島岡氏も大きく意気消沈し、一時期は柔道から撤退することも考えたそうです。 しかし、周囲の説得により翻意し、南アフリカではいたるところで銃声が鳴り響いていたり、とても日本にいては想像すらできない出来事が次から次へと巻き起こってくるのですが、そんな中でも3人の弟子が日本の講道館へ『柔道留学』に行き、見事、黒帯を取得して帰国し、故郷であるザンジバル柔道を改革していくという話や、師匠である島岡氏の『志』を受け継いだ弟子達の自分の住んでいるところで柔道を教え始め、 「礼に始まり、礼に終わる」 という柔道の思想を脈々と息づかせているということに感動すら覚えました。 島岡氏の疾走は衰えを見せず、今度はタンザニアに新しい産業を興すべく、自らが愛飲してやまないインスタントコーヒーである『アフリカフェ』を輸出したり、『ティンガティンガ』という現代アートがあり、アーティスト達が描いたカラフルな絵を販売する事業に着手したり、『カンカ』というアフリカの生活布を輸出する事業も行うのです。そして、日本では考えられないほどシビアな条件が山積みする国政選挙に絡んで出てくる話も、タンザニアとザンジバルの間に横たわる複雑な情勢を教えてくれるものでありました。 『アフリカ独立革命』という大義名分のもとに、「一期一会」と「先憂後楽」などの精神をもとにする島岡氏の『志』が深く、読者の胸を打ちます。
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