骨が語る日本人の歴史 の商品レビュー
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Q、この本を手に取ったきっかけは? A、大学で研究室にまで所属するほど、考古学を志す気持ちがなぜか強い自分。 でも、大好きというわけでもなく 卒論にも不安な部分が大きい。 「なにかとっかかりがないかな」 そんな軽い気持ちでいるときに見つけた。 骨…か。 自分が小学校中学年のころ、 図書館で借りた本にすごく印象的だったものがある。 「人類の進化の歴史」についての本だった。 漫画調ではあったが、読みやすくて 人間って、進化してできたんだ!ってわかった。 ヨーロッパらへんにはお花を手向ける ネアンデルタール人とか クロマニヨン人がいた。 アフリカ大陸には、アウストラロピテクスがいた。 中国らへんには、 北京原人とかジャワ原人とかいた。 現代人は、ホモ・サピエンスというらしい。 …だった。 ルーツを知ることに興味があったのだ。 じゃあそれ関連なら、読めるかも。 と思ったから読んでみた。 Q、本の名前から思い描いていた話と 実際の話、同じだった?違った? A、妙に違った。 この本は、各時代の人骨資料からわかる人物像を 旧石器時代から近現代まで通史的に見る。 その後、筆者が思っている「身体史観」 (リアリティのある人物像で語られる歴史学) でみた時に出てくる今までの日本史の捉え方の矛盾について、教育の観点から ブリブリ文句をたれている感じだった。 (そこに異議があったんかい。) やっぱり、教科書にも事情あり、学者それぞれの思いも違う。 みんなが納得のいく教科書なんて、できないと思います。 Q、この本を読んで新しく知ったことは何かな? A、「古墳時代の人には、身体まで階層差が及んでいたこと」 大きな前方後円墳などに入る王族・貴族らは身長が大きくて、顔は日本人の原型。 一方、円墳や方墳などに入る庶民や地方豪族は 身長が小さくて、縄文人のような寸詰まり顔。 ほんとうに骨の隋まで階層差が浸透していった らしいんだな?ということをひとつ、蓄積された。 Qこの本で自分と同じように思ったところはどこかな? A、縄文人顔と弥生人顔の区別は無理があるだろ。 ってところです。 土井ヶ浜遺跡の展示で診断したところ、弥生人顔 だとわかった。 くちびるが薄いかどうかとか、目が切れ長かどうかなんて、骨考古学じゃわからないのに。 多分、古墳顔だろうな。
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人は皆自分のルーツを知りたがる。日本列島に住んでいるなら、日本人が一体どの様にして生まれ(最初の日本人とは)、現代の日本人に繋がっていくのか誰もが一度は興味を持った話題だろう。ただそもそも日本人とは何か、日本という国が成立したのが、長い歴史の中で見ればごく最近であり、人類誕生から...
人は皆自分のルーツを知りたがる。日本列島に住んでいるなら、日本人が一体どの様にして生まれ(最初の日本人とは)、現代の日本人に繋がっていくのか誰もが一度は興味を持った話題だろう。ただそもそも日本人とは何か、日本という国が成立したのが、長い歴史の中で見ればごく最近であり、人類誕生からすればほんの直近の出来事に過ぎない。中国の魏志倭人伝に見られる様に、我が国は日本ではなく倭の国である。 我々が日本史を学ぶ際は縄文人がそのスタート地点となるが、縄文の名の通り、土器に縄で紋様を付けたことに起因する呼び方だ、当たり前だが土器が作れると言うことはある程度の技術と文明を有しており、いきなり生まれた瞬間から作れるはずはないのだから、それ以前から存在した人類が徐々にそうした技術を身につけて、「縄文人」と現在の歴史学が分類しただけに過ぎない。それに続く弥生人もそうだが、明確に縄文人と弥生人を区別するのは不可能だし、ごく僅かな量が発掘される骨や生活の跡を辿って推測を重ねていった結果が教科書に掲載されているだけだ。 近年はDNA検査からルーツを辿る様なこともあるだろうが、それが示す事は何が混ざっているかを明らかにする程度なのかもしれない。言い方は悪いがどこの猿の血筋に近いかぐらいだ。結局のところ何らか分類を行い、あたかもそれが唯一の真実であるか如く「決めておかないと」受験勉強で困ってしまう程度に捉えておくのが良い事がわかる。因みに私は明石原人もしっかり記憶していた。 要するに本書が言いたいのは、骨を見てわかるのは身体的な特徴から、当時の人々の生活スタイルや食糧事情などであり、ルーツを辿ることは興味をそそるものではあるが、はっきりしたことは判らないということなのでは無いかと思う。またそれ自体に余り意味のない事だと読了後に感じる。 太平洋戦争後だけを見ても、それ以前の日本人との身体的特徴は明らかに異なり、身長は10センチ以上伸び、硬いものを噛まなくて良くなったから、顔立ちもシャープになっている。縄文人にしても弥生人にしても江戸の町人にしても食生活や暮らし方が身体的な特徴を形成しているのは間違いない。だから遥か古代に存在した人類が、世界の陸地至る所に存在していた猿人からヒトになる過程で、移動を繰り返しながら最終的に行き着いた場所が日本だったかもしれないだけの話に行き着く。さらに言うなら海を渡る技術が進歩すれば人の混交も盛んになるから益々オリジナルに近い血は薄められ平均化(特徴を失っていく)されていく。それを解明するとなると膨大な量の骨などが必要になるから、どこまで行っても真実に辿り着くのは難しい。自分の先祖を振り返ろうとして数世代100年足らずで諦めるのとは訳が違う根気だけでも解決できない難題になってくる。 流れを決定する要素は沢山あるとおもうが、やはり情報の伝播はわかりやすく特徴付けると考えられる。日本列島の中の異なる地域に人が増えれば、自然と他のグループとの距離が縮まり情報交換が行われる。互いに知らない生活や食糧調達方法、更には食べ方などが伝わり交わる。食事から得られる栄養素は骨の形成に深く関わるし、食べ方は顎の力に影響する。狩猟が農耕に変われば体力面でも機敏性よりはスタミナが求められるようになる。海を超えた情報の交わりは、食糧の保存方法や農耕技術に大きく貢献するから、また生活スタイルが変わる。これを繰り返すことは要するに情報交換の積み重ね→生活・食事の変化→身体的な特徴→寿命の長期化と人口増加→国や政治の在り方、といったように大きな変化の根本には情報の移動と重なる事がわかる。 昨今ネットで地球上のことならほぼ解る時代になった。戦後80年かけて劇的に変化した生活スタイルが更に超高速で変わる可能性は高い。そうした人類の骨を一万年後(地球が存在するかは判らないが)の人類が見た時、もしかしたら顔も形も性別すらも果てしなく均一化された、宇宙人グレーの様になっていると予測する。 本書をきっかけに古墳巡りや歴史資料館を回りたくなってきた。
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あくが強い人の本はやはり面白いですね、と思わせてくれる。港川人が縄文人とつながらないこと、日本人は吹きだまりという考え方など非常に新鮮だった。現代人が特殊だということなども。藤ノ木古墳のフイワーバーとか。あとは、京都の人だな。
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骨が語る 日本人の歴史 片山一道 ちくま新書 ISBN978-4-480-06831-6 二〇一五年五月一〇日 第一刷発行 帯のキャッチコピー 『縄文人は来なかった 骨考古学者が明らかにする日本人の起源』 『「弥生人顔」などない』 『……つい最近まで定説のように考えられてきた「...
骨が語る 日本人の歴史 片山一道 ちくま新書 ISBN978-4-480-06831-6 二〇一五年五月一〇日 第一刷発行 帯のキャッチコピー 『縄文人は来なかった 骨考古学者が明らかにする日本人の起源』 『「弥生人顔」などない』 『……つい最近まで定説のように考えられてきた「縄文人南方起源説」は、いまや、パラダイム・シフトをせまられているようだ。「最古の日本人はどこから来たのか」議論を楽しむワインは醸造しなおさねばならない………………』 キクオ書店にて古書購入 中京区河原町三条上る http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480068316/
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日本列島の人間の歴史は、旧石器時代に始まり、案外長く、結構遠近感にあふれるダイナミックなものだった。用語の羅列性の中に埋没するのなく、事象現象の物語性に軸足を移してもらいたい。 弥生人の多様性と地域性は、渡来人を含めてもっと評価しなおさないといけない。弥生に人口爆発があり、戦国時代並みの戦乱の時代があった。複顔の際には軟部組織に関する情報は復元できない。弥生人は前期、中期、後期でひとつの地域でも差が大きい。 縄文人は身長のわりに手足が長い、下肢が発達、出鼻大鼻、えらの張った受口。広く東アジアの大陸部から吹き溜まりのようにして集まってきて列島に適応し独特のユニークな縄文人が生まれた。 前半面白い。前半だけなら星5つ。後半は考えてしまうところも多い。
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十分面白い内容だが、内容の重複が非常に多い せっかく骨学の本なのだから例えば蹲踞面とは何かとか、抜歯の順番の図とか骨に関するもっと具体的な話があると良かった
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縄文人は顔の彫りが深く、浅黒い肌。弥生人は細目でのっぺりとした顔立ちで色白。そして弥生人が後から日本にやってきて、縄文人たちは日本の周縁的な土地へ追いやられた... なんてありえない!というのが本書の骨子。 弥生人も縄文人も、どちらも日本列島の中で生まれた人たちで、グループとして...
縄文人は顔の彫りが深く、浅黒い肌。弥生人は細目でのっぺりとした顔立ちで色白。そして弥生人が後から日本にやってきて、縄文人たちは日本の周縁的な土地へ追いやられた... なんてありえない!というのが本書の骨子。 弥生人も縄文人も、どちらも日本列島の中で生まれた人たちで、グループとしての差より、社会階層の差や、地域差、個人差の方が大きいだろう、と筆者は言う。 本書の後半は、歴史観、特に現在流通している歴史区分への批判が中心。 確かに世界史は主に西欧の歴史と中国史。南米やオセアニア、中部以南のアフリカにはほとんど触れられないという指摘はごもっとも。 ヨーロッパや中国の「中世」の始まりよりなぜ日本の中世は500年以上遅れるのか、それは自虐史観ではないのかという指摘は...中世とか、古代が本当に定義不能な概念なんだろうか? そこまで歴史家は何もしていないものなのか?
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面白いと思いました。 特に新しいことを知ったということはなく、 他でも言われている内容だと思うのですが ただ、骨考古学という軸で考えるということが 新鮮だと思いました。 日本人とは、ということ、現代日本人の特異さ、 さらに体型、身長、骨格、容貌というのは 環境や活動範囲や摂取する...
面白いと思いました。 特に新しいことを知ったということはなく、 他でも言われている内容だと思うのですが ただ、骨考古学という軸で考えるということが 新鮮だと思いました。 日本人とは、ということ、現代日本人の特異さ、 さらに体型、身長、骨格、容貌というのは 環境や活動範囲や摂取する内容等の後天的な 要因で割とドラスティックに劇的に変わるもの であることなどが新鮮でした。
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考古学界に直接のしがらみがないせいか、ものをはっきり言われます。日本人のルーツとして柳田邦男がいう「海の道」は琉球諸島に言えても、九州から北海道の石器人には言えない。教科書から消えた「明石原人」。九州北部の例を持って、弥生人が渡来系とは敷衍できない、全国には多様な弥生人が分布して...
考古学界に直接のしがらみがないせいか、ものをはっきり言われます。日本人のルーツとして柳田邦男がいう「海の道」は琉球諸島に言えても、九州から北海道の石器人には言えない。教科書から消えた「明石原人」。九州北部の例を持って、弥生人が渡来系とは敷衍できない、全国には多様な弥生人が分布している。今となっては間違っているということを間違っていると教えてくれる前半部分までが痛快です。
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<目次> はじめに 第1部 日本人の実像を探る 第1章 旧石器時代人 第2章 縄文人 第3章 「弥生人」 第4章 古墳時代人 第5章 「中世人」・近世人・近現代人 第2部 「身体史観」の挑戦 第6章 旧来の日本人論の誤りをただす 第7章 旧来の歴史観はどこが誤っ...
<目次> はじめに 第1部 日本人の実像を探る 第1章 旧石器時代人 第2章 縄文人 第3章 「弥生人」 第4章 古墳時代人 第5章 「中世人」・近世人・近現代人 第2部 「身体史観」の挑戦 第6章 旧来の日本人論の誤りをただす 第7章 旧来の歴史観はどこが誤っているのか <内容> 人類学の先生による日本史への挑戦?ただ、化石人骨をつぶさに研究している著者の発言はとても重い。縄文顔や弥生顔はない(そうした二分論で日本人のルーツは語れない)。古墳時代は階層による骨の特徴に差異が見られる。生活習慣などに大きな違いがあったと考えられる(民族的な問題よりも現代人がここ50年でかつてない身体状況の違いが見られることが傍証となる)など。 われわれ教師は生徒にキャッチ―なフレーズで惹きつけたいと考えてしまうので、「縄文顔」「弥生顔」等を示すが、骨以外の体毛の濃淡、耳滓の乾湿の違い、など分かるはずもない話なのはわかっているのだが、ついつい使ってしまう。それが日本人の歴史観を変えているのかも…はちょっと申し訳ない気もするが、辞められそうもない…。
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