現代語訳 吾妻鏡(15) の商品レビュー
1258年~1261年の『吾妻鏡』の記述。 ・本巻の政治情勢 ・吾妻鏡 第四十八 正嘉二年(1258)正月~12月 但し、正元元年(1259)の記事は欠落。 ・吾妻鏡 第四十九 文応元年(1260)正月~12月 但し、4月までは正元二年。4月に文応元年に改元。 ・吾妻鏡 第五十 ...
1258年~1261年の『吾妻鏡』の記述。 ・本巻の政治情勢 ・吾妻鏡 第四十八 正嘉二年(1258)正月~12月 但し、正元元年(1259)の記事は欠落。 ・吾妻鏡 第四十九 文応元年(1260)正月~12月 但し、4月までは正元二年。4月に文応元年に改元。 ・吾妻鏡 第五十 弘長元年(1261)正月~12月 但し、2月までは文応二年。2月に弘長元年に改元。 注、有り。付録は、時刻表/方位。大倉御所概念図。 鎌倉時代の鎌倉、若宮大路周辺図。 天皇家系図、鎌倉将軍家系図、北条氏系図。 宗尊将軍の上洛を来年に決定するが、冷夏と暴風雨で 諸国の田園が全て損亡する事態になり、上洛は延期に。 その後も、大雨、洪水、地震、疫病、そして正嘉の大飢饉に。 弘長元年に徳政中心の関東新制を定めることとなる。 また、悪党の蜂起、夜討や強盗への治安対策。 延暦寺と園城寺の戒壇を巡っての対立。 三浦義村の子・良賢らによる謀叛の企ても発覚する。 なお、若年の北条時宗は供奉人に。 次いで10歳で小侍所の別当になり、金沢実時から実務を学ぶ。 北条時利、宗尊、北条時宗の結婚が成されるが、 幕府の重鎮・北条重時が死去する。 朝廷では、後深草天皇の弟が亀山天皇に即位。 「現代語訳吾妻鏡」完読まで、あと僅かとなりました。 う~む、誤字・脱字、名前の間違いが多いんだけど~。 儀式の供奉人や引付、廂番等の記録がやたらと登場しています。 20歳代になった宗尊の供奉人の催促が激しく、 しかも差しさわりで欠席したい者が多くなり(肉食したとか)、 調整する実時の心労が目に浮かぶようです。 確かに実務を学ぶ場ではあれど、時宗10歳! 将来の得宗の後継と執権への英才教育ってところですか~。 また、宗尊の正室、御息所藤原宰子の、御服の月ごとの注文が 興味深かったです。当時の高位の女性の衣裳や化粧道具が 記録されています。 北条政村の息女が、比企能員の娘の霊に祟られるってのも ありました。蛇身が出現するようだったとは怖いなぁ。 若宮別当僧正の隆弁の加持は、効果抜群!
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