宮沢賢治「旭川。」より の商品レビュー
影絵と水彩画を組み合わせたような、美しく情緒のある絵が印象的。旭川にゆかりのある者にとって、手元におきたい宝もののような本。 賢治が行き先に告げた“農事試験場”はこの頃すでに旭川駅からは距離のある永山に移転していた。その後「上川農業試験場」と名称が代わり、平成に入ってさらに北の...
影絵と水彩画を組み合わせたような、美しく情緒のある絵が印象的。旭川にゆかりのある者にとって、手元におきたい宝もののような本。 賢治が行き先に告げた“農事試験場”はこの頃すでに旭川駅からは距離のある永山に移転していた。その後「上川農業試験場」と名称が代わり、平成に入ってさらに北の比布町へ移転している。私自身5年ほど所属していたが、賢治とこのようなつながりが過去にあったことは知らなかった。
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大正12(1923)年8月、賢治は当時軍の施設が多くあった北海道・旭川を訪れます。この旅はその前年に妹トシを亡くした悲しみを抱えながらの旅であり、また教え子である岩手県花巻農学校の生徒たちの就職先を探すため樺太へ向かう途中でもありました。 そんな旅の途中、夜行列車が早朝旭川駅に...
大正12(1923)年8月、賢治は当時軍の施設が多くあった北海道・旭川を訪れます。この旅はその前年に妹トシを亡くした悲しみを抱えながらの旅であり、また教え子である岩手県花巻農学校の生徒たちの就職先を探すため樺太へ向かう途中でもありました。 そんな旅の途中、夜行列車が早朝旭川駅に到着し、昼に再び出発するまでの短い間に残した一篇の詩「旭川。」をもとに、新たな創作を加えて一冊の本にしたのが本書。夏のさわやかな朝の情景を、旭川在住の作者が墨とうすい水色を基調としたすっきりとした絵で描いています。
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宮沢賢治の「旭川。」とあべ弘士の画と文にひかれて読んだ。 「旭川。」のおしゃれな感じ、涼しげな空気が伝わってくる。「旭川。」 。が気になる。
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賢治が降り立った大正12(1923)年夏の旭川を描き、町の爽やかな空気とその時の賢治の気持ちが伝わる。最愛の妹トシを前年に亡くし哀しみを抱いた稚内・樺太への旅、未開の北海道、長い汽車の旅の途中に午前半日だけ過ごした町旭川。異国的な町のことを詩「旭川。」として残し、92年後の今年そ...
賢治が降り立った大正12(1923)年夏の旭川を描き、町の爽やかな空気とその時の賢治の気持ちが伝わる。最愛の妹トシを前年に亡くし哀しみを抱いた稚内・樺太への旅、未開の北海道、長い汽車の旅の途中に午前半日だけ過ごした町旭川。異国的な町のことを詩「旭川。」として残し、92年後の今年それをモチーフにこの絵本作られる。 動物の絵本作家として知られるあべさんだが、人と風景をこういうふうに描く人だった。風景と人、建物と植物、大自然と人工物の対比が絶妙。大胆で精緻、シンプルな形と線と色が静かに郷愁誘う。安定した構図と緑・茶・青の押さえた配色が美しい。巻末の賢治自筆の詩を今回初めて読んだが、これに触発されて生まれた絵本。賢治の詩があべさんの言葉と絵で深い意味を伝える。賢治の詩をあべさんが絵本としてなぞったのではない。旭川と宮沢賢治を愛する作家により、絵本の可能性を耕す絵本。大いに評価したい。 個人的だが、立男は旭川で生まれて育った。絵本の旭川は、記憶にある町とは違う。今は遠くにあるだけだ。だが、時代を超えたふるさとの何かがどのページにも漂っている。絵の川と山と規則正しい道、言葉の「朝もや」「六条十三丁目」「涼しい風」「ポプラの並木」「永山という町」が懐かしさい。ふと、小さかった頃、駅前の洒落たレストランでチキンライスとアイスクリームを食べ、帰り道で電車を見たのを思い出す。そのイメージがこの絵本を開いたことで一瞬にして鮮明になった気がした。そして、ぼんやりしていた昔のことが具体的な線や色で浮かんでくるよう感じがしてきた。
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宮沢賢治の 旭川 をあべさんが描くとこんなに素敵になる。絵本の色使いはすごく好きだけど、原画は絵本と違うので 機会があれば見る方がいい
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