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山陰の黎明 縄文にどきっDoki! の商品レビュー

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2018/10/09

2013年の企画展図録である。行ってはないが、興味深い図録だった。西日本には、東日本よりも縄文遺物は多くはない。それでも、工夫して「いま流行りの」縄文時代を興味を引くように分かりやすく展示していたようだ。 三瓶山の噴火が、縄文時代の開始を遅くし、なおかつその火山土で作られた平野...

2013年の企画展図録である。行ってはないが、興味深い図録だった。西日本には、東日本よりも縄文遺物は多くはない。それでも、工夫して「いま流行りの」縄文時代を興味を引くように分かりやすく展示していたようだ。 三瓶山の噴火が、縄文時代の開始を遅くし、なおかつその火山土で作られた平野が豊かにし(結果的には弥生時代をも豊かにし)た事が、最初の頃の展示でわかる(3度目の噴火後の3800年前、出雲平野では縄文時代後期から急激に人口が増えてゆく)。 1番良かったのは、第三章「縄文人の生活」を丁寧に解説していたこと。住居、身の回りの道具(土器、木製鉢、籠、石斧等々)、衣服と靴(アイヌの革製靴は成る程と思った)などを展示。 漁業や狩猟の方法と同時に食材を豊富に展示していた。鯉やフナ、ナマズ、真鯛、アシカ、マガモ、マグロ、アワビ、サザエ、ハマグリ、ウミニナ、カキ、 カシ、クルミ、ニワトコ(酒の原料)、トチ、栗、イノシシ、鹿等々。帝釈観音堂遺跡からはカモシカ、テン、オオカミ、サル、大ヤマネコ、カワウソなどの骨も出土していた。小動物は落とし穴に落として、そのあとに弓や棍棒で仕留めたようだ。落とし穴は5ー6個が一列に並んでいて、深さは1mほどしかなかった(大山山麓の渋山池遺跡)。ワラダ猟というのが行われていたらしい。投げ輪状のワラダを投げると、野うさぎの天敵のタカの鳴き声と同様な音を発する。野うさぎは巣穴に避難する。狩人はその穴から野うさぎを捕獲するというわけだ。 捕獲した動物の解体は、獲ったその場で行う。集落で全身の骨が出土しないからだ。イノシシや鹿の脳髄も採る。皮なめしにも使われるからだ。足の骨は螺旋状折る。骨髄を採るためだ。鹿の角は頭蓋骨ごとに採る。生きた角でないと加工(モリや釣り針)に適さないからだ。 木の実や百合根、クズ根は、すり潰した後に、水に晒してデンプンを抽出した。火おこしはベテランならば10分で出来るという。弓きり法では、火きり臼(板)と火きり棒と弓、軸受けの石が必要である。石には中央に円形のくぼみがあるのでそれと分かる。石斧の柄は、木の幹から枝分かれする部分を利用し、容器は木のコブ部分を利用する。籠や布や小型石器の製作方法も再現していた。 黒曜石やサヌカイトの利用には、何故か流行がある。隠岐産黒曜石は五千年前までは山陰全域に流通していたが、香川県金山産サヌカイトが多く流通するようになる。西部では大分県姫島産黒曜石が多い。 土、石、鹿骨、骨などで繊細なアクセサリーがつけられた。また、信仰の跡として土偶が多く出土するが、注目すべきは「円形土製品」があるのである。石ではないから軸受けではないだろう、窪みがあるのもある。たいていは必ず幾何学模様がある。筆者は実用的ではないから信仰に関わるだろう、護符だろうか?と述べる。私は、何故弥生時代の分銅型土製品との関連に言及しないのか理解出来ない。阿津走出遺跡の装飾付土製品の模様などは、ほとんど初期の人の形をしていない頃の分銅型土製品なのだ。一方では、「中国地方の土偶は扁平なものが多く、立体的な土偶はあまり作られませんでした。顔や手足の細部は描かれず、胸が表現されないものもあります。著しく抽象化されているが、中央に妊娠線が描かれていることから、女性像であることがわかります」(69p)という。だとすると、分銅型土製品はやはり土偶から派生したのだろうか。いったいどういう物語があるのか。1000年以上も人づてに伝わる物語とは、いったいどういう物語なのだろうか? こういう謎があるから、考古学はやめられない。 2018年10月読了

Posted byブクログ